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倭の五王(岩波新書) [本(日本史]

『倭の五王』
藤間生大(日本古代史)
岩波新書(1968)


『日本書紀』には
晋の『起居注』や『百済記』の引用がある

讃は429年没、珍443年没、
済460年没、興477年没、
武は502年以降没

珍と済の間に血縁関係なし
倭の五王は、履中、反正、允恭、安康、雄略

履中は即位時に弟に命を狙われる
反正は在位五年、60歳没
允恭は78歳没
安康は56歳、暗殺される
雄略は兄二人を殺して即位、すぐ殺す暴虐の君主、在位23年

林屋辰三郎、五世紀こそ古代国家の隆盛期
上田、倭の五王は河内王朝
倭王珍、部下を平西将軍、征虜将軍などに任命してもらう
百済王は鎮東大将軍、倭王は安東将軍

倭王珍の主張は南朝鮮の人が集団で日本に移住していたため、
中国南朝の方式に基づき百済新羅任那秦韓慕韓の権利を求めた

倭王済、451年、使持節都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六国諸軍事安東将軍倭王に
倭王武、478年、使持節都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王に

広開土王陵碑、主語を倭とするか高句麗とするか
479年、輔国将軍加羅王に
熊本の江田船山古墳の刀の銘文
大王ミズハワケ
倭の五王の相続は結果において末子相続

☆☆☆☆☆
倭王武の地位は、
中国の南朝が倭が半島諸国より有力と認めた証拠、
百済をその次と見ている。
普通に考えても、列島は半島より人口規模が大きいし、
当時の半島は四ヵ国に分裂しているんだから、
倭が半島に進出しても何の不思議もない。
文化が遅れている国こそ戦争に強いのもよくあることだし。

モンゴルが馬で中国に対して優勢だったように、
倭が船で朝鮮に対して優勢だったと考えるのは自然なこと。
統一新羅ができるまで、
倭が半島に進出していたのは当然と思える。

難易度2/5 推薦度3/5



『巨大古墳の世紀』
森浩一(考古学)
岩波新書(1981)


墳丘には木を植えなかった

全羅道の潘南面古墳群、
濠のある古墳、倭人のものではないか

前方後円墳は蒲生君平の造語
大仙陵、土盛りに140万人必要、
一日千人で四年近くかかる

ボストン美術館に大仙陵の出土品
応神と仁徳の同一説、直木孝行次郎

応神陵=誉田山古墳
仁徳陵=大山古墳

大阪東部、東大阪に広がる大きな河内湖
河内湖とその治水が王権に
考古学資料は南朝とのつながりを示すものは少ない

☆☆☆☆☆
ボストン美術館に日本の古墳の出土品があるなんて。
宮内庁が買い戻さなきゃ!

難易度2/5 推薦度3/5



『古墳の話』
小林行雄(考古学)
岩波新書(1959)


土地の精霊としての鹿

銅鐸の鋳造には輸入した銅剣、
銅矛が地金として用いられた
銅鐸は共同体の祭器、宝器、秋の収穫祭に使う
日本書紀、古事記ともに銅鐸に言及せず

同じ鋳型に作った鏡、同笵鏡
馬の登場は応神二年の百済王の献上から
古墳の境界線を示す円筒埴輪
夫婦の合葬は大陸から

☆☆☆☆☆
日本では馬は使われていなかったんだな。

難易度2/5 推薦度3/5



『日本国家の起源』
井上光貞(日本史)
岩波新書(1960)


倭国王の師升は倭面土国王だった
倭国大乱は170-80年代

畿内説の方角修正、
では女王国の東の倭種とは北なのかという問題

百済肖古王の七枝刀は石上神宮の七枝刀
著者は邪馬台国東遷説
崇神天皇が任那出身らしいこと

弥生文化とともにアルタイ語言語が入り、
言語の大変換が起こった、縄文文化はポリネシア語族
大野晋

任那放棄562年

☆☆☆☆☆
水行二十日、水行十日、陸行二十日など日数表現は
距離表現と異なり郡からの総日数じゃないかなあ。

難易度2/5 推薦度3/5



『日本古代国家の成立』
直木孝次郎(日本古代史)
講談社学術文庫(1996)


魏晋に使えた裴秀の禹貢地域図では
日本を九州を北にして
南にのびるように描かれていただろう。
室賀信夫

15世紀の朝鮮の地図では
九州が北に関東を南に描いていた

『日本書紀』は神功皇后は卑弥呼と考えていた

三角縁神獣鏡、畿内中心に分布、
三百枚出土、元は三千はあった、
高度な技術で時代的に孤立している、
銅は中国産

崇神天皇は実在
ヤマトタケルはヤマトの勇者を意味する一般的な名称

竹内街道と長尾街道
百舌鳥古墳群と古市古墳群
雄略天皇=ワカタケル=倭の武王
継体天皇即位直後の事件が磐井との戦い

天皇の称号は天武天皇より
三輪山古墳群

埼玉の稲荷山古墳の剣の銘文と、
熊本の江田船山古墳の大刀の銘文は、
同じ大王ワカタケル

高松塚古墳、40~60歳の男子、
刑部親王忍壁皇子や百済王善光の可能性

亀虎古墳、弓削皇子の可能性

☆☆☆☆☆
古田説を検討している珍しい本。

難易度2/5 推薦度3/5



nihon_keisei_.jpg 『日本国家の形成』
山尾幸久(日本古代史)
岩波新書(1977)


531年の磐井の反乱、欽明朝の成立
369年倭王権が半島に出兵して任那を立てたか
倭兵の最初の出兵は429年
任那日本府、府とは村や町の意味

事実上の任那王満致が倭王権のもとに移住、
満致を擁する倭が任那の支配を目指した

京都太秦の秦氏、本家は慶尚道の蔚珍郡
磐井は倭王ではない
隋の文帝、高句麗を漢代のように郡県に編入を宣言し出兵
ウヂ、カバネ、トモ
676年新羅の半島統一

☆☆☆☆☆
隋の文帝、考えることが荒っぽいな。

難易度3/5 推薦度3/5



『古代東国の石碑』
前沢和之(日本古代史、博物館学)
日本史リブレット(2008)


日本古代の石碑で現存するのは18基
高句麗広開土王碑文、414年
倭が辛卯の年を以て来り、海を渡りて百済□□新羅を破り、以て臣民と為す。

☆☆☆☆☆
東国の碑文と釈読

難易度3/5 推薦度2/5



『知っていますか、任那日本府』
大平裕(古河電気工業)
PHP研究所(2013)
 

徐建新の好太王碑拓本の研究、改竄説は消える
日本より後の朝鮮半島の14基の前方後円墳
広開土王碑391,399,400,404,407の記事

☆☆☆☆☆
私も任那はあったと思うけど、
列島から進出したんじゃなくて、
任那は日本の本国、弥生人系日本人の郷里だと思うんだな。
だから任那人はそもそも日本人そのもので、
任那の歴史は、日本人が半島から追い出される歴史。

難易度3/5 推薦度2/5


『日本神話』
上田正昭(日本古代史、日本史)
岩波新書(1970)


江田船山古墳の大刀銘文の書いたのは張安、渡来人
和歌山県隅田八幡宮の人物画像鏡銘文

527年継体天皇21年に筑紫の国造磐井が
北九州で新羅征討軍を迎え撃った

大海人の妃は天智天皇の娘、持統天皇
大友皇子の妃は大海人の娘、十市皇女
古事記編纂の主体は天武天皇

四世紀の王権は三輪王朝
五世紀の王権は河内王朝

出雲国風土記の黄泉の穴、島根県平田市猪目湾にある
アマテラスよりさきだつ皇祖神であったカミムスビ、高木神
天つ神と国つ神、渡来系征服民と土着被征服民
スサノヲは出雲の神
海幸彦は隼人の祖

☆☆☆☆☆
"倭人自ら太伯の後と謂う。魏略"
弥生人が呉越系の可能性が見える。

難易度2/5 推薦度3/5

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