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光武帝、超いい人伝説(だがすべて史実である) [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

guangwudi.jpg光武帝(劉秀、字は文叔。後漢王朝の初代皇帝。紀元前5年1月15日生まれ、西暦57年3月29日没。皇帝在位は西暦25-57)の誕生日なので、光武帝のいい人ぶりを書いておく。

・施しを楽しみ人を愛する人となり(樂施愛人)。
・兄が政治活動にお金を使うので、農業に努めて家計を支える。
・長安に留学すると同室の韓君が貧乏なので、一緒に驢馬の運送業を始める。
・学業が人より進んでいたので、同級生達に政治を解説してあげる。
・遊侠の徒と付き合うが、することは逃亡者を匿ったり助けたり。
・叔父が税金に困っていると、減免交渉を代行してあげて成功する。
・兄が反王莽の挙兵計画を手伝い、大豪族李通との交渉をまとめる。
・兄が挙兵するが親族が逃げ出したので、代わりに説得してまとめる。
・兵士が集まるも緊張がひどいので牛に乗って出陣して笑いを取る。
・兄が小長安で大敗したとき、乱軍の中で妹劉伯姫を救出、ただし姉劉元の救出には失敗。
・兄が宛城を包囲したが長期戦になりそうなので、別働隊として食糧を回収して送る。
・王莽の大軍に遭遇、味方が包囲されたので、三千の強襲隊で百万の大軍を壊滅させる。
・河北に脱出すると勢力作りもせず、法律で苦しめられている囚人の再審査を始める。
・王郎の賞金首となり逃げているとき、部下が飢えて辛そうだったので、王郎の領土へとって返し、王郎の使者と詐称して、腹一杯食わせてあげる。
・王郎を滅ぼすと、内通していた人の手紙を見ずに焼き払い、許してあげる。
・降伏した銅馬軍を味方の攻撃から守るため、武装を解いて銅馬軍の中に入り、銅馬軍の人気者になる。
・柏人で朱浮と鄧禹が李育と戦い破れたとき、劉秀自ら出陣して敵を撃退。
・清陽で銚期が銅馬に苦戦して死闘していたとき、劉秀自ら救出に向かい撃退。
・耿純が夜襲を受けたとき助けに行けなかったが、次の日に耿純の元に行って援護しなかったことを謝る。
・先鋒の呉漢が深入りして敗戦したとき、援護に出て呉漢を救出して先に帰すが、勢いに乗る敵の攻撃を支えきれず死にかける。
・敗戦の損害を最小限に留めるべく、自ら後陣に残り最後まで戦うが、劉秀が帰ってこないために劉秀戦死説が自軍に広まってしまう。
・敗戦の地に帰ってきたとき、率先して遺体の回収埋葬を始める。
・勇猛に戦うことよりも、城を平定することよりも、人々の心を安心させることが真の戦いであると宣言。
・銅馬軍など農民軍の兵士たちの妻子が多く豪族の奴婢となっていることを知り、奴婢の解放令を出す。
・降伏した敵は必ず赦して決して殺さない。
・賈復と寇恂が喧嘩して殺し合いになりそうと聞くと、二人を呼んで仲直りパーティを開く。
・馮異が関中で反乱すると噂を聞いて、馮異の元に妻子家族すべてを送る。
・鄧禹が赤眉と戦って手こずると劉秀が親征して平定。
・蓋延が董憲と戦って負けると劉秀が親征して大破。
・岑彭が鄧奉と戦って苦戦すると親征して平定。
・呉漢が隗囂と戦って苦戦すると親征して大破。
・耿弇が張歩と戦って苦戦すると親征するも、到着寸前に耿弇が死力を振り絞って張歩を倒してしまい、劉秀がっくり。
・即位後に陰麗華と再会したが皇后になるのを拒絶されても半年以上説得を続ける。
・陰麗華の怒りが冷めるまで二年以上も気が変わるまで待ち続ける。
・姉の劉黄の夫選びを手伝うが、宋弘に怒られてしまう。
・郭聖通の精神異常に、皇后から降ろすが、職務以外の待遇は一切変えず。
・郭聖通の病気が重くなると、郭聖通の長男に皇太子と同じ住居、車馬、服装を与えて郭聖通に見せる。
・仕官するように呼んだ隠者に断られてもプレゼントをつけて送り返す。往き帰りとも車送迎付き。
・聖と呼ばれるのが嫌で、聖の付く文書はすべて禁止に。
・お酒は飲めなかったが宴会が好きで功臣を集めは司会進行を務める。
・外国からの宝物や珍味の献上物を功臣にすべて配り、自分の分を残さない。
・家臣と話すときはすぐ側に呼び寄せるなどして、同じ高さから会話する。
・天下統一後も家臣の粛清を一切せず、生涯仲良し。行政改革の暗闘に巻き込まれないように、政治の現場からひっこめる。
・人にしてあげられることがあればすべてしてあげようとする人だ(極盡下恩)と評される。
・人とともに楽しめばその楽しみは長く続くが、自分一人で楽しむのは長く続かず無くなるものだ(楽人者其楽長,楽身者不久而亡。)がモットー。
・私は人民に益するところがなかった(朕無益百姓)と遺言を残す。
・天下のことを判断するときは何度も何度も繰り返し考えて、名も無き庶民を最優先にするようにしなさい(顧重天下,以元元為首)と次の皇帝を諭す。

※日付はすべてユリウス歴換算
※すべてを詳しく知りたい人はこちら-光武帝伝ノーカット版(臨時公開中)-をどうぞ!

タグ:光武帝
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思想家としての光武帝 [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

guangwudi.jpg光武帝(劉秀、字は文叔。後漢王朝の初代皇帝。紀元前5年1月15日生まれ、西暦57年3月29日没。皇帝在位は西暦25-57)

天地之性人為貴
(この天の地の性質として、人であるから貴いのである。)
劉秀は現代思想につながる発想を持っていた。人の貴さを、人であることそれだけに求めた言葉である。劉秀は天下を統一すると、庶民と奴婢との法律の差別を取り除いていった。現代の基本的人権への第一歩である。

貧不能自存者粟,人五斛、如律
(貧しくて自活できない者には一人当たり150kgの穀物を法律によって支給する)
世界初の生活保障制度である。自力で生活不能な老人や貧民に一人当たり150kgの穀物を支給し、それを「如律」すなわち制度化したのである。生存権の始まりである。

顧重天下,以元元為首
(政治は何度も考えに考えて行い、名も無き庶民を最優先とせよ)
これは劉秀が次の皇帝たる劉陽に残した言葉である。庶民を最優先とする、すわなち、人民のための政治こそが劉秀の統治の根本思想であった。

地恒動而不止
(大地はいつも動いて止まることがない)
劉秀の科学知識を述べよう。劉秀は既に地動説も知っていた。劉秀は緯書の校訂も行っていたがその中の『尚書緯』の考霊曜には、

地恒動而不止,人不知,譬如人在大舟中,閉牖而坐,舟行不覺也。
(大地はいつも動いて止まることがないのであるが、人がそれを知らないのは、たとえて言えば大きな船の中にいて、窓を閉め切って座っているようなもので、船が動いていても気づかないからである。)

とあるのである。

またこの予言書では大地は三万里動くとしているのだが、一里は415.8mであるから三万里とは12,474km、この数値は地球の直径12,742kmとほぼ一致していることがわかる。これは太陽との角度の変化から導き出した数値かもしれない。

得隴望蜀
(隴を得て蜀を望む)
有名な成語であるが、原意を少し誤解している辞書まであるようだ。この文面は全文を読んだ方が正しく理解できる。

兩城若下,便可將兵南擊蜀虜。人苦不知足,既平隴,復望蜀。每一發兵,頭鬢為白
(二つの城を降伏させたら、兵を率いて南に蜀の賊を撃つことができる。人は満ち足りることを知らずに苦しむものだな。今、隴を平定すると、次に蜀を欲しがるとは。戦争を始めるたびに、髪やひげが白くなるよ)

目前の敵の打倒に目星がついたとたん、次の敵について考えている自分に驚いて言った言葉である。興味深いのは、人苦不知足(人は満ち足りることを知らずに苦しむ)の部分で、これはまさに欲望こそが苦を生むとする仏教思想の中核であり、劉秀は自然にその境地に到っていたことがわかる。

楽此不疲
(楽しんでやっているから疲れたりしない)
劉秀は晩年に到っても仕事熱心であるため、心配した人に対して答えたものである。この原理はフロー現象とも言われ、達人の域に達すると没頭して楽しむようになることと言われる。これは仏教の悟りの境地、涅槃がこのようなものであるとされる。劉秀は皇帝として既に涅槃に到達していたのである。

楽人者其楽長,楽身者不久而亡
(人とともに楽しめばその楽しみは長く続くが、自分一人で楽しむのは長く続かず無くなるものだ。)
これは馬武、臧宮らの上書に対する返答の一部であり、『黄石公記』からの引用である。ただし現行の『三略』とは少し異なっているので注意。

劉秀は土地調査で人が多く死んだことを嘆き、匈奴国境から避難させた住民が戻ったとき、彼らの郷里が廃墟になっていたことを悲しんだ。人々の心に寄り添って生きたのが劉秀であった。共に楽しみ、共に悲しむ。これはまさに仏教で言う菩薩の思想そのものである。劉秀は天性菩薩の心を持っていたことがわかる。

朕無益百姓
(私は人々の役に立てなかった)
これは劉秀の遺詔の一節である。劉秀は天下を統一し戦乱を終わらせただけでなく、大胆な政治改革を進めた。奴隷解放、人権の平等化教育推進、農業振興、徴兵制の廃止、塩鉄の専売制の廃止、生活保障制度制定、国家公務員を1/10以下にして地方公務員へと転換させ、刑罰の再審制度を作り全国土地調査を定め徴税を平等化した。劉秀よりも民衆のために役に立った人間は地上に存在しないと言ってよいレベルである。

ところが劉秀はそれを自分の力だとは考えなかった。私は人々の役に立てなかった、すわなち、これは私の力によるものではなかったと考えたのである。人間には我というものはなく、すべては縁により他者との関係の中で生じる。仏教の無我、縁起の思想である。劉秀はその生涯において無我、縁起の思想を体得したのである。

しかし劉秀は仏教を学んだという記録はない。仏教の伝来は、劉秀の息子、明帝劉陽が夢で金人=仏陀を見て、西域から僧侶を呼び寄せ、仏像、経典などを持ち帰らせたことに始まるとされる。明帝の弟である劉英が仏教の祭祀を行っていたことから、劉英は仏像を持っていたと考えられる。劉秀は既に仏教思想に到達していたが、仏教は劉秀に遅れて伝来したことがわかる。

救世主を知らせるベツレヘムの星とともにこの地上に生まれ、天性の菩薩の心を持ち、苦の原理を知り、無我と縁起の法則を身につけ、涅槃に到達した劉秀は、後の道教の祭祀となる大元宮を行って皇帝となると人権天賦説を唱えて奴隷を解放し、法のもとの万人の平等と生存を保障し、人民のための政治を行い、また地球が世界の中心でないことや、その大きさまで正確に知っていたのであった。

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光武帝の誕生日ということで後漢関連でここ一年に読んだ本 [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

guangwudi.jpg光武帝伝ノーカット版(臨時公開中)
光武帝がどんな人か、歴史的に知りたい人は是非読んで欲しい。小説で描かれた人物像とは相当違うことがわかると思う。またネット上で出回っている情報はかなり間違っていることも知って欲しいところ。



kodainoshuraku.jpg 『中国古代の聚落と地方行政』
池田雄一(東洋史)
汲古書院(2002)


下級役人は貧乏だなー、と。
この本は定価15000円と高いなー、と。



『前漢政治史研究』
好並隆司(中国古代史)
研文出版(2005)


故事:漢王朝の政策
古制:周公による政策
皇帝は外朝の頂点、天子は内朝の頂点


『儒教と中国』
渡邉義浩(中国古代史)
講談社(2010)


天人相関論:
月と人体の大きな関節12、
日と小さな関節366、
五臓と五行、四肢と季節、
寝起きと昼夜。人体は小宇宙

劉秀は政治学者
図讖を戯事に済ましてしまう合理主義者



『王莽:改革者の孤独』
渡邉義浩(中国古代史)
大修館書店(2012)


王莽が古典中国の形成に最も貢献した
王莽は班固の祖父と同僚であり兄弟のような関係

白虎観会議は政治的には、
王莽が古文学を中心に形成した中国の古典的な国制を
『春秋公羊伝』に代表される今文学により、
経学的に正統化しようとするもの
十四項目で十が王莽に関連。ただし王莽提案は四つ


『風俗通義(中国古典新書続編)』
中村璋八(緯書)
明徳出版社(2002)


文帝の治世は宣帝ほどではない


『古代中国の考古学』
岡崎敬(考古学)
第一書房(2009)


居延漢簡
弩には1,3,4,5,6,7,8石のものがあった。
張是で張氏の意味
広陵王爾が劉荊に与えられたのは漢委奴國王印の与えられた翌年。三角縁神獣鏡は日本の使いの鏡の要求に対して魏側で特別に製作したのではないか

『稲作の考古学』
岡崎敬(考古学)
第一書房(2002)


杜詩がふいごを作って農器を鋳造。
衛颯が来陽で鉄工場。任延が農具を鋳作
河北の作物の中心はアワ
コムギは後漢から盛んに
四川は稲魚を食う
公孫述が馬援に与えようとしたのは木綿
滇王之印
鉄製の釜や鍋が民間にゆきわたるのは漢のつぎの時代



shokei.jpg 『「書経」の帝王学:リーダー学の原点』
守屋洋(中国文学)
プレジデント社(1998)


つねに天の声、民の声に耳を傾けること
刑罰を設けるのは刑罰など必要としない
世の中を実現するのが目的である
無為の政治の堯舜は儒家の理想
精励のうちに一生を終えた禹は墨家の理想
自分以下の人間ばかりに取り囲まれている王は必ず滅ぶ

『書経 上 新釈漢文大系 (25)』
加藤常賢
明治書院(1983)


周王が同族の子弟を
諸国に領主として封建するに際して、
領主としての政治上の心構えを訓戒した
詔書類あるいは戦に臨んでの檄など

テキストの半分は東晋の偽作
この巻は真古文

『書経 下 新釈漢文大系 (26)』
小野沢精一
明治書院(1985)


この巻は偽古文
他の書籍に引用された部分を集め、
足りない部分を肉付けしたもの。


『全譯後漢書 第7册』
范曄
汲古書院(2012)


建武三年七月洛陽の干魃。
南郊外で光武帝が雨乞いすると雨が降った。

☆☆☆☆☆
陛下は雨を降らす能力まであるのか……



『睡虎地秦簡『編年記』『語書』釈文註解』
高橋庸一郎
朋友書店(2004)


白川静の影響が大きい
語書。南郡守騰が発した文書
法、律、令とは、人民を教え導き、
そのよこしまな所を取り除き、
そのよくない風俗をやめさせて、
人民に善を行うようにさせるものである。



『地不爱宝:汉代的简牍』
邢义田(歴史学)
中华书局(2011)


(地不愛宝:漢代の簡牘)
木簡の史記は何と55kg以上に。ローマ人村の幻想についての研究。まさか発端は顔師古だったとは……。後半は研究者の伝記と研究の歴史。



『画为心声:画像石、画像砖与壁画』
邢义田(歴史学)
中华书局(2011)


(画為心声:画像石、画像レンガと壁画)
秦漢の画像分析。ヘラクレス像がインドを経て仏教化して中国に到達するまでの分析。七人の娘が父の仇である長安令を襲撃する話は武侠映画みたいで興味深い。



『治国安邦:法制、行政与军事』
邢义田(歴史学)
中华书局(2011)


(治国安邦:法制、行政と軍事)
台湾の秦漢史研究者が木簡資料を中心に地方行政を分析する論文集。日本の研究者の引用も多い。徴兵が識字教育になり兵役から帰ると学力がつくのが面白い。



『天下一家:皇帝、官僚与社会』
邢义田(秦漢史研究)
中华书局(2011)


(天下一家:皇帝、官僚と社会)
台湾の秦漢研究者の論文集。劉秀の身長169cmは漢代の成人男性の平均身長ピッタリらしい。光武帝が儒家歴史家に嫌われていたらしいのが興味深い。みんな光武帝より王莽が好きなの。



『东汉:民族强盛的起点』
李硕
时代文艺出版社(2011)


(後漢:民族発展の出発点)
後漢について多様な角度から解説している。文物の写真も多い。たくさんの著者の文章の寄せ集めで、質の落差が凄い。大半はひどい出来だが、一部よく書けているものもある。

あきれたのは軍制の解説部分で、ずっと前漢の解説が続き、後漢での改正部分に全く言及せずに終わり。前漢と後漢じゃ全然違うのに、一体この本は何なのか?

光武帝と後漢については日本、中国、さらに韓国のまでたくさん読んでいるが間違いがない本というのが一つもないのが凄いと思う。たいていの本には無数の間違いがあるし、解釈はともかく単純な原典の読み間違いもしばしば。いかに光武帝が歴史家から無視されてきたよくわかる。



『秦汉简牍中法制文书辑考』
高恒(法律思想史)
社会科学文献出版社(2008)


(秦漢簡讀法制文書論考集)
秦漢の法律を木簡史料などから再現する。びっくりしたのは秦では成人と未成年の区別は身長ということ。年齢に関係なく150cm以下は未成年、さらに140cm以下だと義務も権利もない。



『張衡詩文集校注(精装)』
張衡
上海古籍出版社(2009)


(張衡詩文集)
後漢時代で最も著名な科学者にして詩人の張衡の著作集。天文学や地震計で有名な人。詩はやはりとても難しい。実はこの人の発明した地震計のせいで後漢は地震が頻発したように見えるのだ。



『東観漢記校注(全2册)』
劉珍,等
中華書局(2008)


(東観漢記)
後漢の歴史の基本史料。『後漢書』より面白い生のデータが詰まっている。ただし集め直しの本なので、断片的なのが残念。光武帝もこの本を読まないと真実の姿は全くわからないのだ。



『風俗通義校注(上下)』
応劭
中華書局(2010)


(風俗通義)
後漢時代を中心にした当時の雑学の本。南陽の南陽酈県甘谷の菊水が風眩に効くというのは気になる。光武帝も風眩になり、南陽の郷里に帰郷しているからだ。劉邦が項羽に捕まりそうになったとき、鳩のおかげで助かったというのも面白い。

タグ:光武帝
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光武帝チート伝説(だがすべて史実である) [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

guangwudi.jpg光武帝(劉秀、字は文叔。後漢王朝の初代皇帝。紀元前5年1月15日生まれ、西暦57年3月29日没。皇帝在位は西暦25-57)

・100万人の王莽軍を3000人で全滅させる。これが有名な昆陽の戦い(西暦23年7月7日)。戦力差最悪勝利の世界記録。
・10万人王莽軍の包囲を夜陰に乗じて13騎で突破、一騎も失わず、戦史上の奇跡とされる。
・激戦を繰り広げた敵、銅馬軍の中に武装を解いて一人で入り、30万人を味方にして連れて帰る。推心置腹の故事成語となった。
・武勇抜群の勇将であり、皇帝となって十数万の大軍を率いてもなお自ら敵中に斬り込み、従軍していた外国の使者が驚愕「人間にはとうてい敵対不可能な武勇」と報告する。
・将軍として直接指揮して打ち破った敵軍の延べ人数は実数で200万~500万人で、世界記録。
・将軍として直接指揮して降伏させた敵軍の総数は実数で100万人以上で、世界記録。
・この時代の最大兵力の王邑、最強の猛将鄧奉、最高の知将董憲、すべて光武帝自ら敵陣に斬り込んで壊滅させた。大事なところはすべて光武帝の見せ場。
・中国史上初めて、大規模な騎馬突撃戦法を採用し、戦場を一変させる。
・大規模な徴兵による短期決戦の時代に、職業兵士による持久戦を展開し、兵法の常識が崩壊。
・兵法書を読んで、机上の空論だとして投げ捨てた。
・部下の二十八人の将軍は天の星座、二十八星宿の生まれ変わりと信じられていた。水滸伝の原作。
・二十八将の多くは故郷、家族、官職などすべてを投げ打って光武帝の元に吸い寄せられるように合流した。
・天下統一後も家臣の粛清を一切せず、生涯仲良し。
・天下統一後は戦争を止め、武の文字の理想(武=戈+止、武器を止めるの意味)を実現した唯一の英雄と称えられる。
・光武帝に従った兵士たちは光武帝を天から送られた将軍だと信じていた。
・身長169cmは出土戸籍木簡から計算した漢の成人男性の平均身長ぴったり。
・目鼻立ちのくっきりとした美男子として知られる。妻は有名な美女陰麗華。
・陰麗華と黄河を挟んで離ればなれになり、七夕物語状態に。後に陰麗華が死去すると織女(ベガ)に巨大な流星が流れた。
・光武帝が生まれると70日間も輝く彗星が牽牛(アルタイル)のそばに現れた。これが間違って西洋では救世主イエスの誕生を知らせるベツレヘムの星となった。
・牛を使って農業し、牛に乗って出陣し、牛で牽く戦車で匈奴を攻め、牛による農耕を全国に広めたため、泰山封禅の儀式には神牛が現れて祝福した。出身地南陽は牛の有名な産地となり、現代中国語で"牛"はクールで強いという形容詞となった。
・お忍びで宮殿を抜け出して発覚すること記録上四回。そのたび謝り相手を褒めるが、懲りずに繰り返す。
・漢王朝建国228年目に、28歳で挙兵し、28人の勇士と後漢を建国した。28が大好き。
・家臣からの皇帝即位要求を2年間で8回も拒絶。9回目にやっと即位する。
・若い頃、当時の大臣劉歆が偽造した皇帝即位の予言書を見て、「これって僕のことじゃん!」とボケてみせて一座は大爆笑に。
・ジョークが大好きで家臣をからかって面白がっていたが、妻の陰麗華に「あんたのジョークは面白くない」と怒られてしまいショボーン。
・正月に、お題をめぐって解釈を競い、勝者が相手の座席を奪って積み上げて座る、知恵を競うゲームを開催した。日本の笑点より1900年以上早い。
・徹底した平等主義者で、13歳の少年の意見を政治に採用し、70歳の老人を王朝の最高位につけ、奴婢出身の人間を皇太子の教育係とした。
・将軍が功績を立てたり、宰相の優れた働きぶりを見るとしばしばその妻や母を賞賛し、賞与を与えた。二千年前に既に女性のシャドウ・ワークを理解していた。
・気さくな人柄であり、通りすがりの老人に暴君呼ばわりされ、小役人にケチと言われ、家臣になるように頼んだ人物に断られたり無視されても、すべて笑ってOKとしていた。
・倹約家で、宮廷の調度品などは敵国公孫述を滅ぼして奪ったものをリサイクル。
・役人の数を十分の一に減らし、徴兵制度を廃止し、塩、鉄の専売を中止し、民業を妨げるものをすべてなくした。
・災害時に政府から医師を民間に派遣する制度を制定。
・自活して生活できないものに一年分の穀物を支給する生活保障制度を制定。
・皇帝即位のとき1514種の神様を祀ったが、これがそのまま道教の祭祀の方式になった。
・仏教公式伝来の10年以上前に、苦、縁起、三昧、菩薩などの仏教思想を体得していた。
・最初の皇后郭聖通が異常行動を見せたため廃后するも、その死まで面倒を見続けた。この話は詳しく読むと泣けるレベル。
・25歳まで首都の大学で学んだ学識者であり、戦場でも書籍を手放さず、皇帝として即位後も夜遅くまで本を読み、ついに本の読み過ぎで倒れてしまうほどの読書狂。
・口にする言葉はすべて名言となり、故事成語を大量に残す。楽此不疲、得隴望蜀、有志竟成、疾風勁草、置之度外、差強人意、敝帚自珍、北道主人、厳陣以待、庸中佼佼、鼓旗相當、披荊斬棘、日復一日、舉足輕重、落落難合、失之东隅收之桑榆など。
・職業経験が豊富で、農民、商人、侠客、学生、役人、将軍、皇帝とあらゆる役職をこなしすべて成功する。
・若い頃は遊侠の徒と付き合いがあり、悪徳役人などを知り尽くし、侠客として逃亡者を助けたりしていたが、郷里や親族の前では慎重にふるまって隠していた。そのため親族もみな気づかず、皇帝になって里帰りしても、「あんたみたいな真面目で人見知りする子がどうして皇帝になったのかしら」と不思議がられていた。
・元元為首(庶民を最優先)を政治指針としたが、これは現代で言えば「人民のための政治」。
・皇帝即位以降、領土拡大のたびに奴婢(奴隷の一種)の解放令を発行する。
・西暦35年3月6日、法の下の万人の平等を宣言し、奴婢の不平等刑法を廃止し、違反するものを徹底処罰した。フランス人権宣言、アメリカ独立宣言に先行するものとされる。
・大規模な土地調査を行い、反抗するものを弾圧して強行、半年に及ぶ内乱を平定し、数年ごとの土地調査を制度化して公平な税制を実現した。日本の太閤検地より1500年以上前の出来事。
・豪族を抑圧し、親族を政治に参加させず、少額の賄賂でも、大臣の首が飛ぶほど厳格な政治をひいた。
・建国の英雄であり、後半期は治世にも成功、さらに後継者問題も発生せず、歴史上唯一、創業と守成と継承に成功した英雄とされる。
・二代目明帝、三代目章帝ともにただ光武帝の決まりを守っただけで堯舜禹に比される名君とされた。後漢は二百年間、法律も制度も光武帝の決めたままほとんど変化しなかった。
・後漢王朝は光武帝の死後百年目に最盛期を迎え、実人口が七千万近くに到達し、千年後に北宋が誕生するまで世界で最も繁栄した王朝となった。
・北宋建国の趙匡胤は能力や即位の経緯が光武帝に似ており、さらに光武帝を研究し徹底して模倣する人物だった。
・京都学派の歴史区分では、後漢から中世、北宋から近世。故に、中国を古代から中世に変えたのは光武帝であり、中世から近世に変えたのも光武帝である。
・三国志の英雄は全員、光武帝の真似をすれば天下を取れると信じていた。
・魏武帝曹操、唐太宗李世民、北宋太祖趙匡胤、清康煕帝愛新覚羅玄燁など、有名な名君はみな光武帝の真似をした。
・毛沢東は光武帝を絶賛し、人を使う能力、学識の深さ、戦争の強さ、すべてナンバー1の皇帝であるとした。
・中国史上初めて日本の使者が来たので金印を贈る。日本の国宝の漢委奴国王印。
・泰山封禅の儀式で天に事業の完成を報告し、そのぴったり一年後に死去する。
・死に際して国民に残された遺言は「私は人々の役に立てなかった。私に対して喪に服すため仕事を休んだり、弔辞を送ったりしてはいけない」というものだった。

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共産主義理論が暴く光武帝劉秀の正体! [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

『简明中国通史』
吕振羽
人民出版社(1980)


 この本の後漢部分の解説で、光武帝について書かれているので抄訳してみた。

 地主階級の劉秀兄弟は家族と親戚を無理矢理武装させ緑林軍に加わる陰謀を練った。緑林軍に漢室を復興させるとたぶらかした。昆陽で緑林軍が王莽の四十万大軍を破ると、遠くから眺めるだけで兵士を動かさなかった劉秀が、真っ先に城に入り勝利の功績を独り占めにした。緑林軍の領袖はこれに怒り、劉縯を殺し劉秀も殺そうとしたが、劉玄が慌てて劉秀を河北へと脱出させた。
 劉秀は河北に行くものの農民勢力のため居場所もなく部隊も飢餓に苦しんだがかろうじて地主の力で助かった。現地の地主の支持により勢力を確保すると、王郎や銅馬農民軍に対しては、劉邦同様の毒辣な陰謀を使い、併合できるものは併合し、あるものは仲間割れさせた。数十万の農民軍を吸収すると、劉秀が皇帝になるという予言書を散布して人々を騙し皇帝に即位した。
 かくて劉秀は血なまぐさい陰謀によって農民軍を利用しあるいは滅ぼし、血塗られた玉座を手に入れたのである。

☆☆☆☆☆
共産主義理論恐るべし!

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Can Superheroes Exist in Real Life? [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

 By the way, I think I will begin this book on a somewhat unexpected topic. A question for readers; what kind of people are superheroes portrayed as in movies and cartoons?
 (1)At first heroes do not appear strong. (2)Heroes are usually friendly people, someone the people around care about, someone no one at all is afraid of, (3)someone who is surprisingly little thought of. (4)Except when some event happens the hero suddenly shows his true power and defeats the enemies.
 (5)At first glance heroes do not appear strong, but if you look carefully, you notice heroes are good-looking, which they must be. This happens naturally because good-looking actors play heroes. Of course heroes must look very cool when fighting, so much that the children watching will want to imitate them.
 Heroes must also be young. Heroes cannot be middle aged or senior citizens. (6)It is best for heroes to be in their twenties.
 Not only their appearance, but their words as well have to be cool. (7)Heroes must leave many decisive phrases to be passed on to future generations.
 Heroes must be strong because they do have to defeat their enemies. (8)Heroes always help the weak against the strong. (9)Invincible heroes are those whose fighting power is worlds above a normal person's.
 Heroes must not fight day in and day out or like fighting. (10)Heroes must not be aggressive. When others are struggling heroes appear to save them and defeat the enemy. (11)Heroes fight by themselves when they fight to end the battle with their most formidable enemy. It is heroes who save the day at critical moments.
 Occasionally heroes struggle with their strongest enemy, (12)but at those times heroes must overcome it saying a joke or two. Heroes are not allowed to complain in a battle.
 (13)However, it is destiny that makes heroes have to fight. (14)Why, is because heroes are special fighters from another world. Heroes must live with the life of battles since it is their inescapable fate.
 However heroes must only be strong when fighting. (15)Instead heroes must be particularly weak against/soft on women and children in his daily life.
 (16)Naturally heroes must have a young, beautiful heroine whom everybody envies. (17)A heroine is a kind- and strong-hearted woman that sometimes opposes the hero and has him wrapped around her finger. Good heroes are a little woeful when it comes to relationships. (18)Heroes must be in love with their heroine all their life but not be popular with women. (19)Hero stories are also shown to children so the heroes must not be popular with women even though it is not natural.
 (20)Even though a hero's personality is easy to like, it is better if there are a few shadows in his mind. The heroine exists to make up for these shadows.
 (21)A good hero also appears to live in a peaceful era and social conditions that is really rotten inside. If the era is troubles from the beginning the story is boring since it is predictable.
 Since a hero's life is ordinary and does not stand out, (22)his name is also common and does not stand out. (23)A good heroine's name is also simple. (24)In an addition, their name must express their character and appearance so that it is easy for readers to remember.
 Also many people have to be saved and protected by a hero's actions. (25)If we show a little reserve here, if a hero saves more than ten million people's lives, we regard him as a hero. No matter how tremendous the things a hero has done are he is not arrogant, he does not boast, (26)and everybody speaks to him frankly as if nothing happened. (27)A proper hero instinctively dislikes arrogant people, does not like standing in front of other people, and has ideals such as equality.
 (28)The story ends happily with the hero winning the battle, giving peace to the world, and hugging the heroine himself.

 In reality it is a far-fetched story world. There is nobody who can fulfill half of these conditions. It is in fact a world of impossible dream like stories.
 However, this was not true. There was a person who met every single one of all these impossible and fantastic conditions. That person is the main character of this book, Emperor Guangwu Liu Xiu, the founding hero of the Houhan Dynasty (BC5.1.15-AD57.3.29.)
 Yes, this is not originally something written about superheroes. This is actually just a summarized description of Liu Xiu from the Book of Houhan and its annotations, which records the historical facts of China in the first century.

 You can confirm the 28 conditions in the postscript.

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草原の風 - (下) [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

『草原の風 - (下)』
宮城谷昌光(作家)
中央公論新社(2011)


劉秀が河北で一段落ついて、
皇帝に即位するまでと、
その後を経過をざっと描く。

即位後の展開の速さを見る限り、
やはり打ち切り説は有力だと思う。

『後漢書』をベースにした小説に歴史を解説する感じで進む。
光武帝の話を構成する難しさをしみじみと痛感させてくれる。

光武帝はどういう順序で解説するべきか難しい。
純粋に時系列に沿って話を進めるとかえって混乱するし、
かといって、人物ごとに過去と未来を語ってしまうのも変だし……

人物はいっぱい登場するが、
性格が見える人物が少ないのも難点かな……

・今日の一言(本文より)
凡庸のなかではすぐれたほうだ。
庸中佼佼。常人中特别出众的人物。
鶏群の一鶴。多くの凡人の中でずば抜けてすぐれた人。
군계 일학. 평범한 사람들 중에서 비범한 사람.
Person distinguished from the common run.

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民衆のため平等を求める光武帝の孤独な戦い [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]


今日は光武帝の誕生日(ユリウス暦紀元前5年1月15日)というわけで光武帝について。光武帝の真の深遠さは天下統一が為されてからの政治にあった。

前漢末期から王莽の新の混乱、後漢初期の戦乱の時代にあって発生した大問題は、貧富の差の拡大と、それにともなう奴婢すなわち奴隷の大量発生という問題である。

劉秀は天下統一の過程で領土を拡大するたびに奴婢を無条件解放させている。さらに新しい法律を提示する。それが略人法と売人法である。それぞれ人さらいに関する罰則、人身売買に関する罰則を定めたものだ。戦争で城を陥落させたときに女や子どもを略奪して自分の奴婢にしてしまうケース、戦乱の飢餓に耐えられず家主が妻や子どもを売り払ってしまうケース、この二つが奴婢の供給源だったからである。

さらに西暦35年3月6日には、

「天地之性人為貴。其殺奴婢,不得減罪。(この天の地の性質として、人であるから貴いのである。故に殺したのが奴隷でもその罪を減らすことはできない。)」

という詔書を発行し、法律の改革を進めた。人が貴い存在であることは、天地、すなわちこの宇宙自体が持つ自然の性質、言うなれば重力のように誰にも変えられない天与のものとし、貴さの起源が人間存在にある以上、貴族も良民も奴婢も貴さは同じであり、同じ刑法が適用されるのだ、というのである。この言葉は中国における人権宣言として、アメリカの独立宣言にある"All men are created equal"に相当するものとして注目されている。劉秀はこの年に、不平等だった法律を具体的に一つ一つ排除を進めている。

後に後漢では、奴から太守にまで出世した李善という人がいたし、常侍樊豊が自分の家の奴婢を殺す事件が起こると、洛陽の県令はその妻を捕まえて直ちに死刑にした。奴婢と良民の法律上の平等が守られていたのだ。そのため奴婢に対する偏見も少なくなり、後漢の安帝の母は婢であったほどである。そのため奴婢は身分というより、犯罪の刑罰としての労役や貧民の一形態になったとされる。

しかしただ刑罰が平等であるということだけでは、真の平等な世界は望めない。世界の貧困を取り除く必要がある。そこで経済発展のために施策も数多く打ち出す。郡、県などの統廃合を進め、役人の数を半減させる。税を三十分の一税にする。国家予算と別にあった帝室の予算をなくし国家予算に併合した。

とりわけ重大なものは二つ。塩、鉄などの国家専売と徴兵制の廃止である。

塩、鉄などの国家専売は、国家に利益をもたらすものの、民衆に不便をもたらした。例えば鉄器を生産するとき市場を経ないため、民衆に必要なものでなく、やたら大きいものが作られてそれしか購入できなかったのである。これは旧ソ連の経済失敗と同じであるのが興味深い。

徴兵制の廃止は国民の負担を大きく軽減させた。というのも、古代王朝では農作物の税よりも労役である税が遙かに重かったからである。徴兵制の廃止は前漢の二倍以上とされる後漢のGNPへと結実することになる。

さらに税の平等性を確保するため、中国全土に度田と呼ばれる大規模センサスを行う。戸籍、土地、建物などを全国調査して正確な登記をしようとしたのだ。

たがここで遂に劉秀の行動にブレーキが掛けられる。官僚と大地主など既得権益勢力の結託によるボイコットが始まるのだ。調査結果は虚偽が相次ぎ、青州では反乱も発生する。大臣も敵である。それどころかかつて戦場で生死を共にした将軍たちにも、ボイコット側に与するものが出る始末である。劉秀の理想はとても二千年前の古代人には理解不可能なものであったのだ。

対して劉秀は、政治の戦いでも戦場同様に一歩も退かずねばり強い戦いを展開する。虚偽報告をした大臣や地方官僚を厳罰に処して、二千石級の大官から十数人の死者を出す。反乱軍に対しては、謀略を駆使して相互密告を奨励することで空中分解させる。建国の将軍、二十八星宿の一人である劉隆は地位を剥奪されて庶民へと転落し、大学者として多数の学生とともに反対運動を展開した欧陽歙も獄死する。戦場の英雄皇帝の断固たる態度に遂に世界は粛然とするのである。今後、後漢では数年ごとに厳密な調査が行われるようになる。

劉秀はさらに教育を普及に重点を置き、農閑期を利用した五年間に及ぶすべての児童に対する基礎教育も始まる。これは後漢王朝の驚異的な識字率と数十万人の高等教育卒業者を生み出すことになる。

劉秀が死に際して残した遺言は、この男の性格を教えてくれる。

「朕は百姓に益するところがなかった。葬儀はみな孝文帝の制度の如く簡略にせよ。刺史、二千石の長吏はみな城から離れてはならない。官吏を遣わしたり上書してはならない」

人々の役に立てなかったという最期の感嘆は、これほどまでしても世界は劉秀の理想からはほど遠く満足できるものではなかったということだ。そして、そんな自分を誰も哀悼することを許さなかったのである。

・今日の一言
天地之性人為貴。其殺奴婢,不得減罪。
この天の地の性質として、人であるから貴いのである。故に殺したのが奴隷でもその罪を減らすことはできない。
그 하늘과 땅의 성질로서 사람이기 때문에 귀중한 것이다. 그러므로 살해한 사람이 노예라도 그 죄를 줄일 수는 없다.
The nature of heaven and earth says that value derives from being human. Therefore if you kill a slave, you cannot receive the favor of clemency.

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光武帝を尊敬する人たち [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

今日は光武帝の誕生日の次の日ということで光武帝の話の続き。光武帝を尊敬する人たちを挙げる。

趙匡胤(北宋を建国)
 光武帝の行動をそっくり模倣した人。武勇優れた名高い将軍であり、部下の将軍たちの推戴により皇帝となる。家臣の言論を許容し、将軍を一人も粛清しなかった。読書を好み、倹約家であり、家臣の諫めを聞かずに頻繁に微行に出る。"赤心置人腹中"の言葉を座右の銘とし、光武帝の陵墓に参拝し、その業績を称える碑文を書いて掲げた。

李世民(唐を建国)
 家臣を表彰するため、光武帝の二十八将を参考にした二十四人を選んで祭るようにした。忠臣の蕭瑀を光武帝の忠臣王覇と比較し、一番の腹心である房玄齢をいつも光武帝の腹心である鄧禹と比較していた。天下を与える雉のエピソードや、道に困ったときに白衣の老人が現れて助けるのも同じ。

司馬光(資治通鑑を執筆)
 光武帝を伝説時代の聖王(堯、舜、禹)に匹敵する存在とした。

毛沢東(中華人民共和国を建国)
 光武帝を"历史上最会用人、最有学问、最会打仗的皇帝(人を使う能力、学識、戦闘力すべて史上最強である)"とした。

その他、曹操、諸葛亮など三国志の英雄全員。

↓軍師諸葛亮の光武帝評より。

・今日の一言
曲突徒薪為彼人,焦頭爛額為上客。
劝人趁早把烟囱造弯、柴推移开火源以预防火灾的人,他的功劳被人遗忘了,奋勇救火而受伤的人反倒被尊为上宾。
事前に煙突にカーブをつけるように勧め、薪を火の元から離し火災の予防をした人は、その功績が人から忘れられるけども、勇気をふるって消火活動し怪我をした人は、かえって大事なお客として大切にされるものだ。
사전에 굴뚝을 구부리는 것을 권유하고, 땔나무를 불씨에서 멀리 떼어 놓는 등 화재 예방을 한 사람은, 그 공적이 사람에게서 잊혀버리지만, 용기를 내어 소화 활동해서 다친 사람은, 오히려 중요한 손님으로서 소중히 대우받는 법이다.
People forget those who helped prevent fires from happening, such as a person who recommends curving a chimney or keeping firewood away from the fire, but a person who displayed great courage in fighting the fire and became injured is treated as an honored guest.

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勇者としての光武帝(赤心を以て腹中に置く) [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

今日は光武帝の誕生日(グレゴリオ暦、紀元前5年1月13日)というわけで光武帝について。

後漢建国の光武帝劉秀は、伝説的勇者であり、十万の敵軍の包囲を十三騎で突破し、百万の敵軍を三千人で全滅させ、皇帝になって十万の大軍を率いてもなお自ら先頭に立って敵に突入したほどの戦士であるが、劉秀が最もその勇気を示したエピソードはやはり推心置腹の故事であると思う。

☆☆☆☆☆
劉秀が将軍として河北で反乱軍と転戦していた頃。最大の強敵である銅馬軍と激しく戦いついに降伏させることに成功する。しかし実は銅馬軍は四十万人という大軍なのに対して、劉秀は十万に満たない兵力である。だから降伏といっても実際には和平協定に近いものであった。

諸国を流浪する反乱軍である銅馬は、長い戦いに疲労し劉秀に降伏したものの、戦いの混乱と興奮から冷めたとき、恐怖と不信が渦巻いていた。問題は兵力差である。敗者の兵力が勝者よりも圧倒的に多いのだ。こんな時に何が起こるか。

かつて戦国時代の秦の将軍白起は趙の将軍趙括と長平に戦って破りその四十万の捕虜を生き埋めにした。楚の項羽は秦の章邯と戦って破り新安で捕虜二十万を生き埋めにした。後の時代の曹操も官渡の戦いで袁紹軍八万人を皆殺しにした。多すぎる降伏兵は皆殺しになる。銅馬軍の兵士たちは、降伏した自分たちの運命がどれほど危険か気づいてきたのである。降伏したのはこれで命が助かると考えたからなのに、まさに降伏することで死のときが近づいているのだ。

これは決して杞憂ではなかった。劉秀の部下の将軍たちもほとんどが降伏の受け入れには反対であった。銅馬軍はたくさんの戦友の命を奪った仇敵である。彼らを受け入れるには大量の食糧も必要だ。また多すぎる兵力をどうやって制御するのか。劉秀の漢軍と銅馬軍は一触即発の状態にあった。両軍は未だ合流したわけではなく、少し離れたところに駐屯している。戦いが再開するのは時間の問題であった。

このとき劉秀は驚くべき行動を取った。突然、武装を解きただ一剣を帯び単騎で銅馬に向かい、そのまま銅馬軍の陣中に入り、巡回し始めたのである。

仰天したのは銅馬軍である。この男は一体何をするつもりなのか?何をしているのか?

銅馬軍の中をまるで見せつけるように悠然と巡り、漢軍の側に戻ろうとしない劉秀の姿に、銅馬軍の兵士はその意味を理解する。

この男は俺たちを守るためにここにいる!

漢軍の総大将たる劉秀がただ一騎、銅馬軍の真っただ中にいるのである。これでは漢軍の攻撃があるはずがない。銅馬軍のざわめきは、歓呼の叫び声へと変わった。

「蕭王推赤心置人腹中,安得不投死乎!(蕭王(劉秀のこと)は真心を持って人を信じて疑わぬ、命をかけてお助けしようではないか!)」

劉秀は降伏した銅馬軍との約束を、自らの命をかけて守って見せたのである。殺されるために降伏する馬鹿はいない。降伏を受け入れるとは、命を助けるという約束であり、劉秀はその約束を身を以て証明して見せたのだ。

これを見た劉秀の部下も驚愕したであろう。いざ銅馬軍を全滅させるべく攻撃しようというとき、銅馬軍は何と自らの大将である劉秀に率いられてこちらに向かってきたのである。そして銅馬軍は無事、漢軍と合流し、劉秀の天下統一の主要戦力となるのである。

この話を聞いた長安の更始帝、すなわち劉秀の主君やその家臣たちは、劉秀を銅馬帝と呼ぶようになった。賊軍たる銅馬軍のために命を捨てて見せた劉秀を皮肉ったのだ。お前は銅馬軍を降伏させたというが、実際には銅馬軍に降伏したのだろうと言う意味である。

☆☆☆☆☆
このエピソードこそ、劉秀という人物の真骨頂であり、真に勇者というにふさわしいものと思う。ここには何の策略も謀略もない。ただ誠意と勇気のみで勝利したのである。

・今日の一言
推心置腹。
赤心を以て腹中に置く。
남을 믿고 성의를 가지고 교제하다.
Treat a person with sincerity.

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草原の風 - 中巻 宮城谷昌光 [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

『草原の風 - 中巻』
宮城谷昌光(作家)
中央公論新社(2011)


挙兵から、昆陽の戦い、王莽の死、
河北行き、逃避行の終了ぐらいまで。

基本的に後漢書に準拠していて、
オリジナルのエピソードは半分もない。
もう少し膨らましても良さそう。
昆陽の戦いもそれほどページを割いていない。

劉秀という特異なキャラクターをうまく描いていると思う。
劉秀という人は知将ではなく勇将であり、
論理的というよりは直観的な人物だった。
忍耐強くて世話好きな人間が、
なぜか項羽と同じ能力を持っているという不思議さ。

個人的には、複雑で混乱している
挙兵前後の事情がよくわかって面白い。

河北で道に迷ったときに出会った
あの白衣の老人の助言は何なんだろうねー。
長安のために守っているっていうけど、
このときまだ更始帝は長安に遷都してないのに。(笑)

ちなみに唐建国のときにも白衣の老人が現れている。
李淵と李世民親子は挙兵したものの
長雨がひどくて撤退しようとしたときに
白衣の老人が忽然と現れ、
このまま前進すれば勝てると助言している。
このときは白衣の老人は、
"老子"本人ということになってる。
劉秀のときと同一人物かもしれないね。(笑)

残念ながら王覇は省略されたので、
以下の台詞は登場しませんでした。

・今日の一言
疾风知劲草。
疾風に勁草を知る。
困難に直面して初めてその人の立場や意志がしっかりしていることがわかる。
Only the toughest grass can stand strong winds.
세찬 바람이 불어야 억센 풀을 알 수 있다.
역경에 처해봐야 그 사람의 진가를 알 수 있다.

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草原の風 上巻 宮城谷昌光 [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

『草原の風 上巻』
宮城谷昌光(作家)
中央公論新社(2011)


ついに出た日本語のまっとうな光武帝小説。
光武帝の若い頃のエピソードを
一つ一つ丁寧に取り上げてある。

著者の劉秀のイメージは
おとなしく真摯だが心の強い人といったところかな?

ロバの商売は有名だけど、
蜜の方も商売と描いたのはちょっと意表をつかれた。
でもそうかもしれない。

劉秀の読書傾向について、占いが好きで、
『易経』に詳しいことになっている。
また『孫子』からの引用発言もある。

このあたりはたぶん歴史とは違っていそうだ。
劉秀の発言や詔書の引用から、
劉秀の読書を研究したものが中国にあるが、
そこで劉秀がよく読んでいた本は、
『論語』『詩経』『尚書』の三つ。
だから『易経』もたぶん読んでないし
特に劉秀は兵法書を毛嫌いしていて
『孫子』も読まなかったらしいのだ。
それでいて希代の名将となるのだから凄いのだけども。

この本は挙兵前夜まで。
全三巻ということを考えるとバランスが悪く、
実質皇帝即位の時点で
話は完結すると理解しなければならないようで、少し残念なところ。

個人的な話をすると、私はずっと光武帝の本を準備していて、
「今、宮城谷先生が読売新聞で連載している人の本です」
といって持ち込むはずだったのが、
予想より早く終わってしまってがっくり。

光武帝は調べると底がないほど深く、いつまでも終わらない。
そしてその異次元的な凄さを新たに教えてくれる。
そのせいで間に合わなかった。

宮城谷昌光というと、
いつも主人公が史実より大物にスケールアップしてしまうのだけど、
この小説は初めて主人公をスケールダウンさせた小説になりそう。

誤解ないように言うと、私は宮城谷ファンだし、
この小説も当然、面白いのである。

・今日の一言(本文より)
官に就くなら執金吾妻を娶るなら陰麗華。
仕官当作執金吾,娶妻当得陰麗華。
벼슬을 하려면 집금오(執金吾), 처를 얻으려면 음려화(陰麗華).
If I were to be an official, I want to be zhijinwu; if I were to marry, I want to marry Yin Lihua.

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嗜血的皇冠:光武皇帝之刘秀的秀 [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

『嗜血的皇冠:光武皇帝之刘秀的秀』
曹昇(作家)
时代文艺出版社(2010)


『血に飢えた皇冠:光武皇帝之刘秀的秀』
奔放な筆致で描かれた光武帝小説。ネット上で発表されて人気を博していたらしい。歴史を解説するスタイルが独特で、古今東西の哲学の引用などもあり、あまりに衒学的という批判もあるようだ。

原文の引用も多く、研究書を思わせるスタイルでありながら、小説なので自由に脚色されており、史実にないエピソードが大量に登場し、少々紛らわしくもある。

劉秀が優れた知将として描かれ、ライバル的存在として、鄧奉が無敵の勇士というか、神がかった強さを持つ将軍として描かれている。しかも陰麗華に心を寄せていることになっている。すなわち劉秀-陰麗華-鄧奉の三角関係になっているのだ。

この本は劉秀が更始帝の元から離脱して、河北へと向かう瞬間まで。
(2011.05.11読了。中国語多読20冊目)

・今日の一言(本文より)
邓奉,如今已长成一个十七岁的青年,生得高大俊美,勇力绝伦。
鄧奉は今や既に十七歳となり、背が高く美貌でずば抜けた武勇の持ち主に成長した。
등봉은 드디어 17살이 되자, 키가 크고 수려하고 뛰어난 무용의 주인으로 성장했다. cf.빼어난 ,되어서
Now Dengfeng has already become 17 years old, grown tall, beautiful and peerlessly brave.

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秀丽江山4: 朱雀卷 [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

『秀丽江山4: 朱雀卷』
李歆(作家)
朝华出版社(2007)


『秀麗江山4: 朱雀卷』
中国史上有数の名君に挙げられる光武帝をテーマにした全4巻の第4巻。

陰麗華の家族の殺害事件から劉秀と陰麗華の死までを描く。この巻のテーマは河北豪族をバックとする郭聖通と、南陽豪族をバックとする陰麗華の暗闘が主題。

史実では陰麗華と郭聖通の対立は全く記録されておらず、少し無理があるように感じられるが、あくまでも劉秀と陰麗華を最高のカップルと定義して、陰麗華視点で物語を進める関係上、こう解釈するのが無難なのかもしれない。

陰麗華と郭聖通の対立を解釈可能な最大値にしており、相当に陰惨な展開で、郭聖通の死のシーンあたりでは陰麗華に嫌悪を覚えさせるほど。

家臣を地方別に分けて派閥争いがあるとする解釈は、研究書でも多く採用されているが、一切根拠が無く信用できない。おそらく唐、明などの他の時代の家臣が出身地方別の派閥抗争があったことからの類推なのだが、『後漢書』には派閥争いといえるほどの記事はないのである。

劉秀、陰麗華の最期のシーンまで主要な事件を一つ一つ完全に押さえて描ききっている点はポイントが高い。郭聖通の長男である前皇太子劉彊の死因にも衝撃的な解釈が加えてある。
(2011.10.08読了。中国語多読29冊目)

・今日の一言(本文より)
我找到她的时候……她踩裂了结冰的河面,整个人掉进了冰窟里……
私が彼女を見つけたとき、彼女は氷った川の水面を踏み割り、氷の下へと落ちてしまった。
내가 그녀를 발견했을 때, 그녀는 얼어 있는 강 수면을 밟아 깨고 얼음 아래로 떨어져버렸다.
When I found her, she was walking on and broke through the surface of the frozen river, falling under the ice.

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秀丽江山3: 玄武卷 [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

『秀丽江山3: 玄武卷』
李歆(作家)
朝华出版社(2007)


『秀麗江山3: 玄武卷』
中国史上有数の名君に挙げられる光武帝をテーマにした全4巻の第3巻。

陰麗華視点で描く光武帝小説の第三巻。光武帝即位から、陰麗華の母と弟殺害事件まで。鄧奉の挙兵についての設定が驚愕。何と首謀者としして陰麗華を設定しているのである。確かに鄧氏と陰氏は深い姻戚関係があるけども、これは想像を超える発想だ。

個人的に気に入らない点が一つ。劉秀の一人称が朕になっていること。朕は皇帝の一人称だけども、劉秀は即位以後もこの用語を公式な場以外ではほとんど使わなかったからである。"我"もしくは"吾"を使っていたのだ。たぶん作家の見落としだと思う。
(2011.09.26読了。中国語多読28冊目)

・今日の一言(本文より)
贫贱之知不可忘,糟糠之妻不下堂。
貧しいころの交友は忘れるべきでなく、苦労を共にした妻は離縁すべきではない。
가난할때 사귄 친구는 잊지 말것이며 조강지처는 버리지 말지어다.
A man should not forget the friends he made when he was poor, a wife who shared poverty may not be divorced in time of comfort.

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秀丽江山2: 白虎卷 [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

『秀丽江山2: 白虎卷』
李歆(作家)
朝华出版社(2007)


『秀麗江山2: 白虎卷』
中国史上有数の名君に挙げられる光武帝をテーマにした全4巻の第2巻。

劉秀、陰麗華が結婚してから離別し、再会するまで。郭聖通が現れるまで河北に男装して随行し、その後、更始帝に誘拐されて、長安で更始帝と赤眉の対決を描いている。手紙を焼き捨てる話や、私が一番の名場面と考える推心置腹の話がないのが残念。

というのも陰麗華視点に徹しているので、陰麗華のいないシーンが描けないのである。著者は王郎との戦いの途中まで陰麗華を男装させて随行させたが、郭聖通との婚礼から更始帝の密偵に誘拐されて物語を長安に移動させてしまったからである。

その分、更始帝の滅亡の様子が詳しく描かれているが、これを面白いと感じるかどうかは微妙なところ。
(2011.06.09読了。中国語多読25冊目)

・今日の一言(本文より)
二十八宿归位之日,便是我归去之时。
二十八の星座が元の位置に戻る日が、すなわち私が帰るときなのだ。
28의 성좌가 원래 위치로 되돌아가는 날이, 즉 내가 돌아갈 때다.
The day when the 28 constellations return to their original positions, that is when I will go return.

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秀丽江山1: 青龙卷 [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

『秀丽江山1: 青龙卷』
李歆(作家)
朝华出版社(2007)


『秀麗江山1: 青龍卷』
中国史上有数の名君に挙げられる光武帝をテーマにした全4巻の第1巻。タイトルの秀麗とはもちろん、劉秀、陰麗華から一字ずつとったもの。江山は国家という意味があるので、タイトルを直訳すると『劉秀と陰麗華の立てた帝国』ぐらいか。

現代中国の女子大生管麗華がタイムスリップして、陰麗華として生きることになるというもの。なぜかこの主人公はテコンドー(?)をやっていたので、内容はすっかり武侠小説。部屋でしょっちゅうトレーニングしているのが何だか可笑しい。金庸小説の主人公同様に、人の話をろくに聞かずに怒っては喧嘩を始める。

もちろん二十八星宿とタイムスリップを絡めたファンタジー色もあるが、視点を完全に陰麗華に固定してあり恋愛小説である。しかも劉秀とその兄劉縯や鄧禹まで絡んで三角、四角関係になる始末。もちろん劉秀、劉縯、鄧禹、馮異など主要登場人物はみな美形である。

笑い出すシーンでは、飲み物を噴いたりするなど漫画そのままという感じだが、内容は完全に歴史展開に準拠している。おそらく日本、中国の今までのどの小説よりも歴史の流れを正確に理解して書いている。おそらく現段階では光武帝小説の最高傑作と考えて良いと思う。

第一巻は劉秀が陰麗華に正式にプロポーズする瞬間まで。
(2011.03.29読了。中国語多読18冊目)

・今日の一言(本文より)
居然连流星雨也放我鸽子。
なんと流星雨にまで私はすっぽかされてしまった。
어쩜 유성우에까지 나는 바람맞았다.
I have even been stood up by a meteor shower.

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牛郎织女故事的起源 - 刘秀和阴丽华 [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

20081227104939.jpg  今天是阳历的七夕。
  七月七日是鹊桥相会的日子。七夕是中国的民间故事。最古老的记录在《诗经》里。但在《诗经》里还没有牛郎织女相爱记载。这两人爱情故事直到汉代之后开始流传。但是西汉的《古诗十九首》里,两个人隔着银河,一句话都不能说,他们还是恋人未满。
  那么汉代到底发生过什么事呢?
  下面我想讲一下东汉时代最有名的一对夫妻的故事。就是东汉建国的光武帝刘秀和其皇后阴丽华。
  刘秀有很多有关牛的故事。他成为皇帝以前,在故乡种田。他是一个勤奋的年轻人,每天拉牛耕田。然后战争开始的时候,他骑牛出战。还有他做皇帝的时候,他用牛拉的战车,跟北方的匈奴作战。《酉阳杂俎》说,他在泰山封禅的时候,一头神牛来祝贺他。他做皇帝的时候,用牛耕田的方式普及到了全中国。他的故乡南阳是有名的牛产地。刘秀无疑是历史上最"牛"的皇帝吧?(笑)
  皇后阴丽华和刘秀是青梅竹马之交,她是一个有名的美女。阴丽华的家很富裕,但生活很朴素,她自己亲手织布。她成为皇后之后也没改变生活方式。汉文帝的皇后薄姬,也是非常朴素节俭的女人,成为皇后之后还亲手织布。阴丽华大概也是一样的。
  他们俩在战争开始的时候结婚。可是当时的皇帝不喜欢刘秀的才干,让他一个人去河北,阴丽华在南阳等待他。刘秀和阴丽华隔着银河...隔着黄河分开了。
  几年后,刘秀当了皇帝把阴丽华接来,后来他们一起幸福地生活。
  他们俩和牛郎织女的关系,在《资治通鉴》、《汉书》和《后汉书》上能看到。刘秀出生之后,牵牛星旁边出现了很大的彗星,阴丽华去逝之前在织女星旁边出现了很大的流星。
  《资治通鉴》说"建平二年(公元六年),春,正月,有星孛星于牵牛"。刘秀出生在建平元年十二月,所以这颗彗星的出现在刘秀出生一个月后。但是彗星不像流星,出现的不是突然而是渐渐地出来的,所以刘秀出生的时候,可能已经看得见。因为《汉书》说"彗星出牵牛七十余日",这么大的彗星,不可能突然出现的。一般说这颗彗星是预言出现救世主耶稣的伯利恒之星。
  《汉书》还说,"永平七年正月,流星大如杯,从织女西行,光照地"。这个月阴丽华去逝了。
  随着牵牛星旁的彗星的出现,刘秀出现在地上,随着流星的飞逝,阴丽华回到了织女星。要是说偶然的话,未免也太偶然了吧。
  我想刘秀和阴丽华是牛郎织女故事的起源之一,你们觉得呢?
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嗜血的皇冠:光武皇帝之刘秀的秀 [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

『嗜血的皇冠:光武皇帝之刘秀的秀』
曹昇(作家)
时代文艺出版社(2010)


  我对光武帝很感兴趣,所以我总是在找有关光武帝的书。我在亚马逊上找到了这本书,因为那里对这本书的评价很高,所以我就决定好好阅读一下这本书。
  这本书是关于东汉开国的光武帝刘秀的历史小说。这本书基本上是按照历史来写的,但有的地方很多添枝加叶。
  在塑造小说里的人物时,对邓奉的描写很有意思。邓奉是保护刘秀的妻子阴丽华的将军,但后来造反,虽然打退刘秀部下的不少猛将们,但最后和刘秀的战斗中败北而死。
  笔者描写了邓奉是一位神勇的猛将,他甚至比项羽,吕布或关羽更勇猛。还有邓奉喜欢上阴丽华,所以刘秀、邓奉和阴丽华成了三角恋爱关系。
  我一直在研究刘秀,我也觉得这个邓奉是个相当厉害的勇士,大概是东汉建国的时候最强的将军吧。
  这本书里有很多笔者卖弄的地方,有时候笔者会突然提到近代哲学的话题,有时候会直接引用古文,那些有的很有意思,有的则很无聊。我觉得笔者有点儿像日本作家陈舜臣。
  这本书是在网络上下载的。我很惊讶的是到书的中间的时候,突然又回到了开头。笔者在途中对作品进行了全面修改,结果这个网络版的文件维持了原有的顺序。
  这本小说里,刘秀作为更始帝的部下活动,然后以到河北去的场面结束了。当然还没有写到邓奉死斗的场面,笔者应该写后续。我期待着故事的后续发展,特别想看看会怎么描写他们的战斗。
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(血に飢えた皇冠:光武皇帝之刘秀的秀)

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秀丽江山1: 青龙卷 [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

『秀丽江山1: 青龙卷』
李歆(作家)
朝华出版社(2007)


  我对东汉光武感兴趣。所以我在网络上常常写光武帝的故事。曾经一个中国人访问我的博客而向我推荐一篇小说,就是这部《秀丽江山》。
  这本书的题目一看就明白,是刘秀的"秀"和阴丽华的"丽"拼起来的。当然内容也是爱情的故事。
  主人公管丽华本来是现代的大学生。她穿越时空来到东汉时代,替代阴丽华开始生活。这是为了让读者更容易理解古代而使用的老套写作手法,听说这种小说叫"穿越文"。
  她在现代的时候学跆拳道,所以她去汉代也爱打架。我觉得她的行为跟金庸的小说里的人物很类似。根本不听别人的话,很多误会别人的行为。
  这是恋爱故事,所以讲的是管丽华和刘秀,还有刘秀的哥哥刘縯之间的三角关系。两个帅哥向她求婚呢。天呢!果然是小说啊!
  这本小说是根据历史的故事改编的,所以描写的是东汉建国的过程。这个青龙篇是刘秀起兵后,经过昆阳大战,然后刘秀正在求婚的时候青龙篇结束了。
  一般认为历史里的阴丽华和刘秀是一对形影不离的夫妻,他们很和睦,可是这部小说里的主人公很爱打架,作者的创作到底和历史有多离谱,这是这本小说一种卖点!
  我看了这个小说,发现很少副词用法的"地"。比如说"莫名的疼了",这个应该是用"地"吧?可是作者基本上都用"的"。听说最近的年轻人不喜欢"地",因为"地"的发音本来"di",感觉不舒服。大家觉得怎么样?您用"的"还是"地"?

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中国の光武帝本を紹介。 [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

今日は陛下の誕生日(グレゴリオ暦)ということで。
中国の光武帝本を紹介。

『秀丽江山(套装共4册)』
李歆
朝华出版社(2007)


タイムスリップもの小説。
現代で武道をしていた女性が
新の時代の陰麗華として生きる。
元々ネット小説みたい。
完全にライトノベルだが、
構成や歴史には結構こだわっているようだ。
光武帝はおっとりおとなしい人に描かれている。



『嗜血的皇冠:光武皇帝之刘秀的秀』
曹昇
时代文艺出版社(2010)


これもネット発の小説か。
評の多さから
相当の人気があるようだけども、
歴史からは相当に離れて
創造力を駆使しているようだ。
光武帝を典型的な英雄として描いているようだ。



『东汉光武帝刘秀大传』
臧嵘
人民教育出版社(2002)


共産主義歴史観なしの光武帝伝。
非常に高い評価が与えられている。
分量といい、分析の深さといい圧倒的で、
光武帝こそ人類史上最高の英雄と信じる
全世界の光武帝ファンにとって必見必読の書。
農民反乱軍の分析もなかなか白眉。



『刘秀传(平装)』
黄留珠
人民出版社(2003)


詳しい研究書。
中間的な評価を与えている。
バランスのとれた分析と、
読みやすい構成など、
なかなか良書であると思うが、
共産主義歴史観が少しうざい。



『汉光武帝大传』
安作璋・孟祥才
中华书局(2008)


典型的な共産主義歴史観による光武帝伝。
用兵や政治力学などの分析も興味深い。
光武帝の能力は評価されているものの、
大地主扱いなので、不公平な印象を受ける。



『汉光武帝刘秀』
元庆
华文出版社(2010)


小説も少し混じっている。
光武帝即位までが詳しい。
即位から統一までは少ない。
隗囂戦が詳しく、公孫述戦はあっさり終わる。
三国志演義の光武帝版という印象。



『汉光武帝刘秀传』
周淑舫
吉林人民出版社(2010)


カラーの光武帝伝。文章量は少ない。
小説も少し混じっている感じ。
鄧奉の反乱の話があるのに結末がない!
統一までの話がほとんど。
統治の話は短くざっとまとめてあり、
意外とわかりやすい。
三国志演義の光武帝版という印象。



『光武帝』
张树
中国社会科学出版社(2007)


列伝形式の光武帝伝。
民話もたくさん入っている。
劉伯姫の武勇伝が詳しいが、
史実と全くかみ合わない。
おそらく民話があるのだろう。
三番目の女性の許夫人の伝記まである。



・今日の一言(光武帝の成語)
疾风劲草。
疾風に勁草を知る。
Only the toughest grass can stand strong winds.
세찬 바람이 불어야 억센 풀을 알 수 있다.

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东汉光武帝刘秀大传 [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

『东汉光武帝刘秀大传』
臧嵘(历史学)
人民教育出版社(2002)


より新しい光武帝論。
光武帝の凄さがよくわかる本で、
光武帝ファンなら必読だ!
冒頭で光武帝がどのように
誤解されていたかの説明があり、
苦笑されられる。

マルクス主義歴史論では、
農民反乱は共産革命の原形という扱いを受けているが、
光武帝はそれを壊滅させた豪族の謀略家とみなされていたこと。

実際には農民反乱を吸収して、その利益を代表する立場だったのだが……

続いて後漢が驚くべき発展をした王朝であることが述べられている。
特に耕地面積が前漢の2.8倍というのは驚愕。
古代の農業社会では生産のほとんどは農耕なわけで、
このことはどんなに低く見ても
後漢は前漢の2倍以上の国民総生産があったことを示す。

また度田も失敗ではなく、
徹底的な大成功であったことを詳細に論じている。

他にもさまざまな政策や戦闘経過の分析があり、
ほとんとすべてが最善の判断を下したという結論なのだ。

この本を読むと光武帝の凄さはスケールが違うというより、
もはや異次元レベルに到達していることがわかる。

・光武帝の一言
楽此不疲。
好きですることは疲れない。
즐거워서 피곤하지 않다.
Delight in something and never get tired of it.

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汉光武帝大传 [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

『汉光武帝大传』
安作璋(中国古代史)
中华书局(2008)


中華書局ということで、
中国における最もスタンダードな光武帝論。

劉秀が牛に乗ったまま敵陣を突破している!(笑)

趙匡胤が光武帝陵に碑文を書いて賞賛しているのは始めて知った。

この本は古典的なマルクス主義歴史論なので、
豪族を代表する光武帝という認識で、
しかも後漢を前漢より低く評価している。
それでも光武帝の評価は歴代皇帝のトップクラスだが。

度田も失敗という解釈で、
柔道も豪族への妥協宣言と解釈している。
とても残念。

大陸の光武帝の本を2冊購入した内の一冊。
面白かったのでさらに8冊光武帝の本を注文してしまった……

・光武帝の一言
庸中佼佼。
凡人の中の優れた人。
평범한 사람들 중에서 비범한 사람.
Person distinguished from the common run.

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牛郎织女故事的起源 - 刘秀和阴丽华(再掲) [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

  七月七日是鹊桥相会的日子(七夕)。七夕是中国的民间故事。最古老的记录在《诗经》里。但在《诗经》里他们还没有谈恋爱。这两个人开始谈恋爱的是汉代以后。
  那么汉代到底有什么事呢?
  下面我想讲一下东汉时代最有名的夫妻的故事。就是东汉建国的光武帝刘秀和其皇后阴丽华。
  刘秀有很多有关牛的故事。他成为皇帝以前,在故乡种田的。他是一个勤奋的年轻人,每天拉牛耕田。然后战争开始的时候,他骑牛出战。还有他做皇帝的时候,他用牛拉的战车,跟北方的匈奴作战。他在泰山封禅的时候,一个神牛来看他。他做皇帝的时候,用牛耕田的方式普及到了中国全国。他的故乡南阳是一个有名的牛的产地。
  皇后阴丽华和刘秀是青梅竹马之交,她是一个有名的美女。阴丽华的家很富裕,但生活很朴素,她自己亲手织布。
  他们俩在战争开始的时候结婚。可是当时的皇帝不喜欢刘秀的才干,让他一个人去河北,阴丽华在南阳等待他。刘秀和阴丽华隔着银河...隔着黄河分开了。
  几年后,刘秀当了皇帝把阴丽华接来,后来他们一起幸福地生活。
  他们俩和牛郎织女的关系,在《汉书》和《后汉书》上能看到。刘秀出生之后,牵牛星旁边出现了很大的彗星,阴丽华去逝之前在织女星旁边出现了很大的流星。
  我想刘秀和阴丽华是牛郎织女故事的起源之一,你们觉得呢?

一句玩笑当上皇帝的男人(开头和结尾) [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

光武帝(刘秀) BC5.1.15~AC57.3.29 (the Julian calendar)

  那个,这本书要开始写有点意外的话题。我问读者。在电影或者动漫里描写的正义的英雄是怎样的人?
  第一,他看起来不太健壮(1)。平常他很开朗(2),周围的人都喜欢他,绝对不怕他,甚至有点儿轻视他(3)。可是一旦出了大事,他会突然发挥自己潜在的能力(4),打倒敌人。
  他的身材不是很高大,仔细看的话,应该很帅(5)。他是很帅的演员扮演的,理所当然。还有他战斗的样子很神气(6),必须达到孩子们想学他的程度。
  年纪也应该轻一点。在这里二十多岁的话就可以吧。(7)
  帅的不只是样子,台词也要有型。他应该留下许多给后代人用的台词(8)。
  他打倒敌人,当然他特别强。扶弱惩强(9),他是个拥有超人战斗能力的无敌英雄(10)。
  可是平常好战的人不行。说打就打的人绝对不行(11)。在别人艰苦战斗的时候到来,拯救他们,打倒敌人。和最重要的强敌战斗的时候,亲自战斗(12),收拾战局。在最关键的时候出现,在最出色的场面活跃的人就是英雄。
  有时候他跟强敌苦战,那时也大胆地说两三句笑话(13),摆脱困境。战斗中严禁哭诉。
  英雄有逃避不了的要战斗的理由。过不情愿的战斗人生是他的宿命(14)。
  可是他强的应该只是战斗场面。平常,特别是对女性和孩子们很温柔(15)。
  英雄当然有谁都羡慕的漂亮的女朋友(16)。她性格很温柔,内心很坚强,有时反对英雄让他服从(17)。恋爱关系是女人比男人强比较好。他们应该是终生相敬相爱(18),但英雄本身在女性当中并不是很有人气(19)。这种英雄的故事,想看让孩子们着的故事,有点不自然,故事上的英雄不受女人欢迎。
  虽然他平易近人,但是有些忧郁的地方(20)。因为补充他那个地方的人就是他的女朋友。
  社会境况看起来是平和稳定的时代,但是里边有腐败(21)。这个呢,明显是混乱时代的话,不出乎意料的故事,没意思。
  他平常不显眼地平凡地过日子,名字也很平凡(22)。女朋友的名字也很单纯(23)。但为了让读者容易记住他们的性格和样子,应该取表现容貌和特征的名字(24)。
  还有英雄必须出色的拯救很多人的性命,保护许多人。那这里,至少拯救一千万人的人就可以说是英雄吧(25)。还有他不管做多么棒的事情,都不傲慢或者骄傲,其他的人也没有事的样子和他亲切地说话(26)。英雄本来不喜欢摆架子,讨厌居人之上,有平等思想的人就可以说是英雄(27)。
  战斗胜利之后,给世界带来和平,英雄和女朋友互相拥抱,故事的结局是大团圆(28)。
  真的是空想的真实机会主意的故事。达到这些条件一半的人也没有吧。这是不能实现的梦想的故事。
  可是,并不一定是这样。有达到所有这些要求的空想上的人。这就是这个书的主人公东汉光武帝――刘秀。

(1)身高170厘米,很普通的身材。
(2)他开玩笑说要当皇帝,喜欢和朋友一起聊天儿,是个心怀坦荡的人。
(3)他哥哥刘縯常常把刘秀和刘仲进行比较。刘仲是汉高祖的哥哥,他以平凡的农民过了一生。
(4)在昆阳之战的时候,一向被大家认为是胆小鬼的刘秀,却被他的战斗能力大受吃惊。
(5)他被赞扬为"气势形体,天然之姿"。他进入洛阳城的时候,那里的长老看到他很高兴,高兴得流眼泪。
(6)士兵们感叹说"他真天上将军也!(真天人也!)。
(7)起义的时候,他二十八岁。
(8)刘秀的言语之中,后来变成成为成语的有,楽此不疲、得隴望蜀、有志竟成、疾風勁草、置之度外、差強人意、敝帚自珍、北道主人,严阵以待,等等。老当益壮的人被称为"矍铄"也是刘秀说的。
(9)《后汉书》记载,他年轻的时候,曾帮助逃亡者(文叔為白衣時,臧亡匿死)。
(10)马援称赞"其勇非人之敵"。
(11)他平常被别人取笑说他是连小小的敌人也害怕的胆小鬼(平生見小敵怯)。
(12)《后汉书》清楚地记载,刘秀亲自出战的内容有三次。和百万大军战斗的昆阳之战,和把刘秀的部下接二连三打倒的最强将军邓奉之战,和把刘秀部下耍弄的智慧才智超群的将军董宪之战。
(13)刘秀的人生中,唯一败战的时候,当他一边逃飞箭如雨的战场,一边笑着说,"差点儿变成俘虏成为笑柄了。敌人威胁刘秀说"突骑也加入我方了"的时候,刘秀模仿他们的口吻说"突骑也加入我方了"。突骑是汉代最强的骑兵部队。
(14)昆阳之战胜利以候,大家都人为刘秀是救国英雄。还有,他需要继承他哥哥刘縯的遗志。
(15)在宴会中,他姨母常常逗弄他,他的姐姐和妻子总是不听他的话。
(16)这就是阴丽华。
(17)阴丽华意志坚强,保护弱者。《后汉书》记载,她做的事情全部和刘秀的意志相反。
(18)刘秀和阴丽华的爱情终身没变。
(19)刘秀的故事中出现的女人有阴丽华、郭圣通和许夫人三个。在历代皇帝中非常少见的。
(20)他一直痛苦在战场杀了很多人。他终身没忘他哥哥的死。
(21)从西汉末期到王莽的新王朝的时代,人口达到中国历史上最高的5900万人。但是,王莽频繁改变法律招致政治的大混乱和地方官吏的独裁专政。
(22)"秀"是很平凡的名字,所以有同名的大臣。他性刘,所以同姓同名。
(23)丽华也是很平凡的名字。顺便说一下,我认识的人中也有丽华和秀的名字。在2000年后的外国日本人中也有这样的名字。
(24)秀这个字的意思是外表好,丽华是美丽的意思。面孔美丽的人叫"眉目秀丽"(日语),秀丽就是把这两个人名字合成的。还有很有意思的是,现代汉语中的"秀"用"show(演出)"的意思。是英语的show音译的。那么刘秀是刘的演出,很适合他建国的故事吧。
(25)当时东汉天下统一的时候,统计人口有2500万人左右。可以说他救了一千万人以上吧。
(26)前面提到的刘秀姨母以外,故乡的小官吏叫他小气。
(27)公元35年3月6日,他宣布人人平等,废除奴婢的不平等的刑法。他和人说话的时候,总是走下站到对方的前面后再说话。有一次他出去玩儿,深夜回来,那时一位看门的人竟然拒绝把他赶走了,但是第二天刘秀称赞看门的人并提拔了他。
(28)刘秀达成了天下统一,建立了和睦的家庭,他们的孩子继承了下一代的皇帝。

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正义的超级英雄是存在的!?(正義のスーパーヒーローは実在した!?) [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

  那个,这本书要开始写有点意外的话题。我问读者。在电影或者动漫里描写的正义的英雄是怎样的人?
  第一,他看起来不太强。平常他很明朗,周围的人都喜欢他,绝对不怕他,甚至有点儿轻视他。可是一旦出了大事,他会突然发挥自己潜在的能力,打倒敌人。
  他的身材不是很高大,仔细看的话,应该很帅。他是很帅的演员扮演的,理所当然。还有他战斗的样子特别帅,必须达到孩子们想学他的程度。
  年纪也应该轻一点。在这里二十多岁的话就可以吧。
  帅的不只是样子,台词也要有型。他应该留下许多给后代人用的台词。
  他打倒敌人,当然他特别强。他是个拥有超人战斗能力的无敌英雄。
  可是平常好战的人不行。说打就打的人绝对不行。在别人艰苦战斗的时候到来,拯救他们,打倒敌人。和最重要的强敌战斗的时候,亲自战斗,收拾战局。在最关键的时候出现,在最出色的场面活跃的人就是英雄。
  有时候他跟强敌苦战,那时也大胆地说两三句笑话,摆脱困境。战斗中严禁哭诉。
  英雄有逃避不了的要战斗的理由。过不情愿的战斗人生是他的宿命。
  可是他强的应该只是战斗场面。平常,特别是对女性和孩子们很温柔。
  英雄当然有谁都羡慕的漂亮的女朋友。她性格很温柔,内心很坚强,有时反对英雄让他服从。恋爱关系是女人比男人强比较好。他们应该是终生相敬相爱,但英雄本身在女性当中并不是很有人气。这种英雄的故事,想看让孩子们着的故事,有点不自然,故事上的英雄不受女人欢迎。
  虽然他平易近人,但是有些忧郁的地方。因为补充他那个地方的人就是他的女朋友。
  社会境况看起来是平和稳定的时代,但是里边有腐败。这个呢,明显是混乱时代的话,不出乎意料的故事,没意思。
  他平常不显眼地平凡地过日子,名字也很平凡。女朋友的名字也很单纯。但为了让读者容易记住他们的性格和样子,应该取表现容貌和特征的名字。
  还有英雄必须出色的拯救很多人的性命,保护许多人。那这里,至少拯救一千万人的人就可以说是英雄吧。还有他不管做多么棒的事情,都不傲慢或者骄傲,其他的人也没有事的样子和他亲切地说话。英雄本来不喜欢摆架子,讨厌居人之上,有平等思想的人就可以说是英雄。
  战斗胜利之后,给世界带来和平,英雄和女朋友互相拥抱,故事的结局是大团圆。
  真的是空想的真实机会主意的故事。达到这些条件一半的人也没有吧。这是不能实现的梦想的故事。
可是,并不一定是这样。有满足这些不合理的要求(1~28)的人。这就是这个书的主人公东汉光武帝――刘秀。

 ところでこの本は少し唐突な話題で始めようと思う。読者に質問だ。映画やアニメに描かれる正義のヒーローとはどんな人物だろうか?
 まずあまり強そうではいけない(1)。日常は気さくな人物であり(2)、周囲の人たちに親しまれていても決して怖がられたりしておらず、むしろ軽んじられている(3)。しかしいったん事件が発生すると突如その真の能力を発揮して(4)、敵を倒すのである。
 見た目は強そうではないが、よく見ると二枚目(5)でなければならない。イケメン俳優が演じるのだから当然である。もちろん戦うときの様子はとても格好良くて(6)、見ている子どもたちが真似したくなるほどでなければならない。
 年齢も若くなければならない。ここでは20代ならよいとしよう。(7)
 格好いいのは見た目だけでなく、セリフも決まっていなければならない。後の時代にも生き続ける決め台詞をたくさん残さねばならない(8)。
 敵を倒すのだから、当然強くなければならない。人間離れした戦闘力を持つ(9)無敵のヒーローである。
 また日頃から戦ってばかりで好戦的ではいけない。喧嘩っ早いのはダメ。むしろ他の人たちが苦戦しているところに現れて味方を救出し(10)、敵を打ち倒すのだ。ここ一番本当の強敵と戦うときは、自らの手で戦い(11)ケリをつけねばならない。美味しいところを見事にかっさらっていくのがヒーローである。
 時には強敵と戦い苦戦するが、そんな時も不敵にジョークの一つ二つ言って切り抜けなければならない(12)。戦いに泣き言は禁物だ。
 だがヒーローは戦わなければならない宿命を背負っていた(13)。望まぬ戦いの人生を送らねばならないのは逃れ得ぬ運命なのだ。
 しかし強いのは戦うときだけでなければならない。日常、特に女性や子どもたちにはむしろ弱くなければならない(14)。
 ヒーローには当然、誰もが羨むような美人のヒロインがいなければならない(14)。そのヒロインは心優しく芯の強い女性であり(16)、時にヒーローに逆らい振り回したりする(17)。男女関係では多少情けないぐらいのヒーローがよい。ヒロインとは、生涯にわたって相思相愛でなければならない(17)が、ヒーロー自身はあまり女性にモテモテであってはいけない(19)。子どもにも見せたいヒーローモノの主人公は、不自然なことだが女性にモテてはいけないのだ。
 性格は親しみやすいといっても、少しぐらいは心に影がある方がよい(20)。その影を埋めてくれる人こそヒロインだからである。
 社会背景もまた一見平和に見える時代であり、その裏が腐敗しているのがよい(21)。最初から混乱した時代では、意外性がなくつまらないものだ。
 日常は目立たず平凡に暮らしているであるから、名前も目立たない平凡な名前である(22)。ヒロインの名前もシンプルなのがよろしい(23)。ただしわかりやすいように性格や容貌をそのまま表現した名前でなければならない。(24)
 そしてヒーローの活躍によりたくさんの人命が救われ、守られなければならない。ここでは少し少な目に、一千万人以上の人命を救えばヒーローと呼んでよいこととしよう(24)。そしてどんな凄いことをしてもヒーローは威張ったり自慢したりしないし、他の人たちも何もなかったかのように親しげに話しかけるのだ(26)。本能的に偉そうな奴が嫌いで、人の上に立つことを好まない平等思想の持ち主(27)こそヒーローに相応しい。
 そして戦いに勝利して世界に平和をもたらし、本人もヒロインと抱き合ってハッピーエンド(28)で終わるのだ。
 実にご都合主義の設定である。この条件を半分も満たすことのできる人物はいないだろう。実在が不可能な夢物語の設定である。
 ところがそうではなかった。この空想上の無理難題な条件(1)~(28)を一つ残らずすべてクリアーした人間がいたのだ。そう、それがこの本の主人公である光武帝こと劉秀なのである!!

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牛郎织女故事的起源 - 刘秀和阴丽华 [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

  七月七日是鹊桥相会的日子(七夕)。七夕是中国的民间故事。最古老的记录在《诗经》里。但在《诗经》里他们还没有谈恋爱。这两个人开始谈恋爱的是汉代以后。
  那么汉代到底有什么事呢?
  下面我想讲一下东汉时代最有名的夫妻的故事。就是东汉建国的光武帝刘秀和其皇后阴丽华。
  刘秀有很多有关牛的故事。他成为皇帝以前,在故乡种田的。他是一个勤奋的年轻人,每天拉牛耕田。然后战争开始的时候,他骑牛出战。还有他做皇帝的时候,他用牛拉的战车,跟北方的匈奴作战。他在泰山封禅的时候,一个神牛来看他。他做皇帝的时候,用牛耕田的方式普及到了中国全国。他的故乡南阳是一个有名的牛的产地。
  皇后阴丽华和刘秀是青梅竹马之交,她是一个有名的美女。阴丽华的家很富裕,但生活很朴素,她自己亲手织布。
  他们俩在战争开始的时候结婚。可是当时的皇帝不喜欢刘秀的才干,让他一个人去河北,阴丽华在南阳等待他。刘秀和阴丽华隔着银河...隔着黄河分开了。
  几年后,刘秀当了皇帝把阴丽华接来,后来他们一起幸福地生活。
  他们俩和牛郎织女的关系,在《汉书》和《后汉书》上能看到。刘秀出生之后,牵牛星旁边出现了很大的彗星,阴丽华去逝之前在织女星旁边出现了很大的流星。
  我想刘秀和阴丽华是牛郎织女故事的起源之一,你们觉得呢?

冗談で皇帝になった男 ― 中国五千年最強の皇帝・後漢光武帝の生涯 [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

今日は陛下のお誕生日、ということで、目次案を挙げておきます。※080406追記:これってユリウス暦だった……
光武帝(BC.5.1.15~AD.57.3.29)

『冗談で皇帝になった男 ― 中国五千年最強の皇帝・後漢光武帝の生涯』
(帯)
 三国志の英雄たちが最高の君主として崇める後漢建国の光武帝劉秀。その姿を『後漢書』の記述から解き明かしていくと、そこに現れたのは超ハリウッド級のスーパーヒーローだった!
 
《目次案》
序章.表はお気楽学生・裏は侠客
 三国志の英雄はみんな光武帝マニア/妻を娶らば陰麗華/尚書を学ぶ劣等生/出世するなら友達も一緒にね/驢馬商人と侠客の歴史/誰もが認める見かけ倒しの男・劉秀/皇帝なんて僕でもいいんじゃね?
 
1章.王莽の宗教帝国の崩壊
 聖人か偽君子か/儒教復古主義か古代の社会主義者か/匈奴と人間グライダー/高句麗なんて下句麗だ/中国初の人体解剖
 [コラム]漢代の学問の世界・儒家と道家
 
2章.百万vs.三千・昆陽の戦い
 反政府運動の拠点・南陽劉家/自称劉邦、兄劉縯の挙兵/緑林の豪傑たち/アル中皇帝・更始帝の即位/王莽、史上最大軍団を結集する/戦力差ギネス記録・昆陽の戦い/仲間割れと家族の死
 [コラム]騎兵と歩兵・漢代の戦争
 
3章.天下大分裂・更始帝と赤眉
 徐母の挙兵/赤眉の挙兵と合流/赤眉の名将董憲、更始将軍廉丹を討ち取る/更始帝、洛陽へ/九虎将軍全滅、王莽死す/牛飼い少年、くじ引きで皇帝を引き当てる/更始帝と赤眉の激闘
 [コラム]群雄割拠の勢力図
 
4章.河北に集結する二十八星宿
 占い師は皇帝の孫・王郎/疾風のみが勁草を知る/同級生鄧禹の訪問/政略結婚/策士寇恂の登場/最強の突騎軍団の南下/内通者の手紙を焼き捨てる/敵を倒すのは朝飯前・猛将賈復/無敵の盗賊将軍馬武/赤心を以て腹中に置く・銅馬軍の降伏/光武帝即位
 [コラム]軍師鄧禹・天下統一のシナリオライターは24歳
 
5章.戦う超人皇帝・中原統一への道
 流浪する赤眉軍の降伏/復讐の闘将鄧奉、光武帝を引きずり出す/河南の皇帝劉永との決戦/中原震撼・敵中を駆け抜ける超人皇帝/韓信を超えた耿弇の張歩討伐/馬成の李憲討伐・完全戦法あり/赤眉の名将董憲散る
 [コラム]医の道へ転身した無敵の名将耿弇
 
6章.去り行く英雄たち・天下統一
 周の文王を目指した隗囂/馮異と空城の計/棺で凱旋した儒将軍・祭遵/隴を得て蜀を望む/向かうところ敵なし・名将岑彭/来歙と岑彭、暗殺さる/勇士延岑の決戦・死中に活を求む/大成皇帝公孫述死す
 [コラム]敵はすべて皆殺し・戦慄の猛将呉漢
 
7章.剣を捨てる・非戦平和主義へ
 名馬名剣は兵士に/匈奴の廬芳/辺境から移住・匈奴を経済封鎖/西域も関を閉じる/ベトナム徴姉妹の挙兵/名将馬援の激闘
 [コラム]空気が読めない名将馬援=アスペルガー症候群説
 
8章.民衆が最優先・孟子型民本主義政治
 循吏と酷吏/大規模センサスと内乱/民衆こそ最優先/奴隷解放と人権宣言/徴兵制の廃止/塩と鉄の専売廃止と自由化/学問の振興/リンカーンと比べる/現代に通じる第五水準のリーダー
 [コラム]謎の兵法書『三略』と光武帝
 
9章.家族愛と友情・超ハリウッド級ハッピーエンド
 二十八宿伝説/功臣との楽しい宴会/予言書大好き/城を抜け出す/姉ちゃんの婿を捜せ/ひねりのあり過ぎる会話集/郭聖通と陰麗華/泰山封禅/倭へ金印
 [コラム]劉秀、陰麗華と七夕伝説の誕生

光武帝の事績を調べて驚いたことは、
この男はハリウッド映画などの正義のヒーロー像の条件を
すべて兼ね備えているということだ。

・平凡な名前
・平凡な体格
・女性に弱くて振り回される
・みんなに弱くて冴えない奴と思われている
・実は恐るべき戦闘能力
・考えてみれば当然二枚目
・戦っているときは、特に格好いい
・歴史に残る名セリフを残す
・みんなを助けてばかりいる
・どんな人間にも平等に接する
・みんなも気安く話しかける
・ジョークが好きで笑いを取る
・自分で敵を倒して世界平和に貢献する
・美人のヒロインと喧嘩しつつラブラブ

最後のが一番羨ましいですね。

・今日の一言
さらに今日は私の母の誕生日です。おめでとう!
And it's my mother's birthday today. Congratulations!
또한 오늘은 우리 어머님의 생일입니다. 축하드립니다!
并且今天是我母亲的生日。祝您生日快乐!

유슈(劉秀) 형님에 필적할만한 사람은 아무도 없어!!! [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

 韓国での『三国志』の人気は日本以上らしい。ならば光武帝だって人気が出るはずだ!

 일본에서는 중국 역사를 좋아하는 사람이 많이 있습니다. 특히 인기가 많은 시대는 삼국지입니다. 그리고 삼국지를 다 읽으면 다른 시대도 알고 싶어집니다. 그러한 사람들 중에서 광무제에 주목하는 사람들이 있습니다.
 광무제는 후한왕조를 연 초대황제이고 유슈(劉秀)라고 합니다. 그의 이야기는 ≪후한서≫에 자세히 실려 있습니다.
 그것을 읽으면 그가 놀랄만한 인물인 이라는 것을 알게 됩니다. 그가 어떤 인물인지 대부분의 일본 사람은 모르겠지만, 중국 사람도 그다지 자세하게 모르는 것 같습니다.
 한국에서도 삼국지는 인기가 많다고 들었습니다. 그렇다면 분명 광무제의 이야기도 재미어 하겠있지요.
 
●생애
 광무제는 기원전 5년1월15일에 태어나서, 서력 57년3월29일에 서거했습니다. 2000년이나 전의 사람입니다. 주몽보다 50년 정도 후에 태어난 사람입니다. 그 때 왕망(王莽)의 신(新)왕조가 혼란하게 되고, 적국시대가 열렸습니다. 유수(劉秀)는 장군으로서 싸우고, 31 세에 황제가 되어 천하를 통일합니다. 그 왕조가 후한왕조입니다.
 
●능력
 광무제는 매우 강한 장군이었습니다. 아군 3000명을 이끌고 100만명이나 되는 적군을 향해 돌진했습니다. 그리고 적의 대장의 목을 자르고 적을 전멸시켜서 유명해집니다. 나중에 황제가 된 후에도 10만명의 대군을 이끌고 전쟁터에 나갔습니다. 그리고 몸소 칼을 빼어 들고, 적군 안으로 들어갔습니다. 그 용감스런 모습은 "정말로 하늘에서 내려온 사람 같다!"라고 병사들이 감탄했습니다. 그 싸움을 본 사람은 "그 무용(武勇)은 인간은 그와 맞겨룰 수 없다"라고 칭찬했습니다.
 
●정치
 이 정도로 강한 사람이었지만, 천하를 통일하자 일체 전쟁을 멈추고, 두 번 다시 전쟁을 하지 않았습니다. 좋은 정치를 많이 했습니다. 세금을 반액으로 줄이고, 관리 인수를 반으로 줄이고, 학교를 많이 만들어서 문화를 진흥시키고, 소금이나 철의 국가판매를 멈추고 자유화시켰습니다.
 노예를 해방하고, 매인법(賣人法), 약인법(略人法)이라는 법률을 정하고, 인신 매매를 강하게 규제했습니다. 또한 "이 세상의 인간은 모두 존엄한 존재이다."라고 말하고, 법률이 모든 사람에게 평등하다고 선언했습니다.
 정치는 매우 엄격해서 뇌물을 허용하지 않않고, 청렴하지 않은 대신은 곧 면직이 됐습니다. 그 정치는 민중을 최우선으로 했다고 칭찬되었습니다.
 
●성격
 광무제가 한 말 중에 이러한 말이 있습니다. "다른 사람과 함께 즐기면 그 즐거움이 길지만, 자신 혼자서 즐기면 오래 지속되지 않고 곧 없어지는 법이다."
 광광무제는 농담을 아주 좋아하고, 사람을 웃기는 것을 무엇보다도 좋아했습니다. 이런 면을 잘 보여주는 이런 일화가 있습니다. 난세가 되고 전쟁이 시작되었을 때, 병사들이 모두 긴장하고 있었습니다. 그 때 광무제는 갑옷 투구를 입고 창을 가지고 나타났는데, 놀랍게도 소를 타고 있었습니다. 사람들은 그 우스꽝스러운 모습을 보고 웃었습니다. 긴장이 풀렸고 안심했다고 합니다.
 광무제는 자주 몰래 일반인의 모습을 하고 외출해서 놀았습니다. 역사서에 의하면, 가신에게 발견되어서 꾸중을 들은 일이 네번 있습니다. 그 때마다 그 신하에게 사과했다고 합습니다. 네번아나 발견 되었다니 …… 전혀 반성하지 않았네요.
 어느 날, 광무제는 교외의 현(縣)에 외출했습니다. 그 현의 관리가 광무제를 알아챘기 때문에, "세금을 10년간 면제해 주십시오"라고 했습니다. 광무제가 거절하자, 관리는 "그냥 돈에 쩨쩨할 뿐이지요」라고 했습니다. 광무제는 이것을 듣고 웃었습니다. 그리고 올해 1년만 면제해 주기로 했습니다. 그래도 1년만은 정말로 쩨쩨하다고 생각하지 않나요?
 
●가족과 친구
 광무제는 28명의 신하가 있었습니다. 그들은 중국의 성좌인 28숙(宿)의 환생이라고 말했졌습니다. 광무제와 28명 신하는 대단히 사이가 좋아서, 아무도 대립하는 사람이 없었습니다. 수호전(水滸傳) 같은 이야기입니다.
 광무제는 아름다운 아내가 있었습니다. 인리화(陰麗華)라고 합니다. 인리화와는 어릴 때부터 사이가 좋았습니다. 이 두 사람의 관계도 일생 변함없이 없었다고 합니다, 인리화는 36세 때 황후가 되고, 그 장남이 다음 황제가 되었습니다.
 덧붙어서 인리화는 농담을 싫어한다고 역사서에서 기재되어 있습니다. 광무제의 농담은 시시한 것도 많이 있었던 것이지요. 어릴 때부터 아는 사이니까 거리낌없이 확실하게 "재미없다!"라고 화낸 적이 있었겠지요. 상상만으로도 아주 즐겁네요.
 저는 광무제란 인물에 대해서 매우 흥미가 있고, 언젠가 소설로 써서 발표하고 싶습니다. 만약 서점에서 발견하면 잘 부탁합니다!


冗談で皇帝になった男 ― 中国史上最高最強の皇帝・後漢光武帝の生涯(◯◯新書) [光武帝劉秀(Emperor Guangwu)]

『冗談で皇帝になった男/◯◯新書』
著者:俺
評価:史上最も理想的に成功した英雄の伝説以上の生涯を知る

(帯)
 百万大軍に突入して大将の首を取る勇士にして、奴婢を解放し万人の法の下の平等を宣言した聖王。天の星座の生まれ変わりたる二十八将とともに天下に平和をもたらした英雄の生涯がここに明らかになる!

目次案
 序.表はお気楽学生・裏は侠客
 1.王莽の宗教帝国の崩壊
 2.百万vs.三千・昆陽の戦いの奇跡
 3.天下大分裂・更始帝と赤眉
 4.河北に集結する二十八星宿
 5.戦う超人皇帝・中原統一への道
 6.去り行く英雄たち・天下統一
 7.剣を捨てる・非戦平和主義へ
 8.民衆が最優先・孟子型民本主義政治
 9.家族愛と友情・超ハリウッド級ハッピーエンド

史書の史実を追いかけるだけでも上の目次になる。
けっこう面白いと思うんですけど、
どこか、出版社の方、こういう本出してみませんか?
光武帝と建武二十八宿伝
を、時系列に書き直して、再構成する作業が中心なので、すぐに書けます。

『冗談で皇帝になった男』
っていうタイトルは、なかなかインパクトがあるキャッチフレーズなので、
そこそこ売れるんじゃないかと思う。

出版社募集中!メール連絡先
※1章を20pぐらい。新書判でどうでしょうか?

・今日の一言
冗談で皇帝になった男
The man who became an emperor by a joke
농담으로 황제가 된 남자
由一句戏言成为皇帝的男人


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